すべてに感謝

富高美和師 (ルカの福音書12:32)

今年の3つの目標の中の1つは、「すべてに感謝」です。それは神様が、イエス・キリストにあって私たちに望んでおられることなので(第一テサロニケ5:16〜18)喜んで実行していきたいと願います。

まず何を感謝するべきでしょうか?

それは、「今日も天の父なる神様と私がつながっていること」を感謝します。

目に見える形で現わされた神の国(エデンの園)では、「神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常によかった。」(創世記1:31)とあるように、すべてが完璧でした。

アダムとエバは、満たされた環境で常に神様に感謝し、神様の御業を喜び、礼拝を捧げていました。しかし蛇(サタン)が現れ、「足りない」とそそのかしたのです。「それ(善悪を知る知識の実)を食べるとき、目が開かれてあなたがたが神ようになって善悪を知る者となることを神は知っているのです」(創世記3:5)このように誘惑を受け、心に「疑い」を入れられた途端、彼らには感謝がなくなってしまいました。そして、神様との関係を自ら断ち切りました。神様は、その関係をもう一度修復すべく、イエス様をこの地に送って下さり、十字架上で人類の罪を贖って下さったのです。私たちの感謝は、まずここから始まります。天地を造られたまことの神様を「父」と呼べる、このことに感謝を捧げ「我が魂よ。主をほめたたえよ。主の良くして下さったことを何一つ忘れるな。」(詩篇103)その上で、日々の生活の中で主の良くして下さったことに目を留めます。

では、感謝することが出来ない時はどうするのでしょうか。

ダビデの人生には、多くの苦難と試練がありました。しかしダビデは、どのような中にあっても主に感謝し、礼拝することを忘れませんでした。それは何故でしょう。彼は、どのような時も感謝できる方法を知っていたからです。その方法とは、「今までの恵みを思い起こす。」という方法でした。

ダビデが息子アブシャロムに追われ、エルサレムから離れなければならなかった時、到底感謝出来るような状況ではありませんでした。しかし、彼は詩篇42:1〜5を見る時、「私は自分のうちで思い起こし」と語っています。エルサレムで神の民と共に主を賛美し礼拝したこと、神の箱をオベデ・エドムの家からエルサレムの地に運んできた時のことを彼は必死に思い起こし、絶望の中で希望を持ちました。その信仰によって彼は再びエルサレムに帰ることが出来ました。

神様がどのようなお方かを、私たちの口で宣言する時、「信仰」が生まれます。そして信仰が大きくなると心配や恐れが小さくなり、信仰で満たされると恐れが消え去ります。イエス様は「心配するな。」「信仰の薄いものよ。」と言われます。私たちは「神の子」として心配することなく感謝しましょう。

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