主は我が砦(詩篇46篇11節)

「万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれれのとりでである。」(詩篇46:11)

「ヤコブの神」とは、「イスラエルの神」を指しますが、今は、「霊的イスラエルである私たちの神」です。聖書は、「万軍の主は、私たちとともにおられ、私たちのとりでである。」と語っています。
私たちには、「神様がともにおられるので、恐れる必要なないんだ」という意識が必要です。(詩篇91)どんな時でも主があなたを守って下さるのです。「千人が、あなたのかたわわに、万人が、あなたの右手に倒れても、それはあなたには、近づかない。」(詩篇91:7) 「恐れる」とは「思い煩う」ことです。イエス様は「明日のことを思い煩うな。明日のことは明日一日で十分だ」と言われます。
人間は、色々なことを考え、思い煩います。しかし、私たちは、イエス様の十字架と復活に預かり、毎日が新しくされているのです。ですから、過去の重荷を引きずる必要はありません。神様が解放を与えて下さったのです
あなたはイエスさを信じ、神様の子どもになったので、神様があなたのことを責任もって導いて下さり、あなたのことを心配して下さいます。あなたは、そのことに毎日感謝していけば良いのです。なんと素晴らしいことでしょう。
イエス様は復活された後、天に昇られ、助け主なる聖霊様を送って下さいました。今は、聖霊様がいつもあなたと共にいて下さるのです。あなたは、聖霊様の声を聞くことが出来ます。助け主なる聖霊様が言葉をもってあなたの内に臨まれる時、あなたは心癒され、力を受けることが出来るのです。
マルチン・ルターが、「聖書に書いてある通りに、救いはイエス様の十字架においてすべて完成したんだ!信じるだけで救われる!」と霊の目が開けた時、最高の権威はローマ教皇ではなく、聖書に最高の権威があることを知って、宗教改革を起こしました。その時、カトリックはもちろんあらゆる人から激しい迫害を受けました。彼が失望落胆し、立ち直れなくなっている時、妻が喪服を着て立っているのを見ました。「どうしてそんな格好をしているんだ?」と聞くと、彼女は「だって、今日はあなたの神様が亡くなられた日でしょう?」と答えたそうです。その言葉で、ルターは自分の状態に気づかされ、「そうだ!『神はわれらの避け所、また力。苦しむ時、そこにある助け』ではないか!」と聖書の言葉を握り、再び立ち上がったというのです。 「もう駄目だ。」「もう絶えられない」という時、あなたの主が来て下さるのです。人生の谷間に落とされる時も、万軍の主が共にいて下さり、そこに花を咲かせ、光をあてて下さるのです。そして、その時、神様こそが私たちの神であり、とりでであることを知るのです。

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