イエス・キリストは主である。(ピリピ人への手紙2章1~11節)

「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。」(ピリピ2:1~11)

 今週は教会暦では「受難週」です。イエス・キリストについて、多くの人は十字架にかかって死なれたことを知っています。しかし、イエス・キリストが真の神様であると知っている人は多くありません。まして、私たちが、まだ罪人であった時に私たちの罪のために死んで下さったということを知る人はほとんどいません。
 しかし、聖書にはその事がはっきりと記されています。まず創世記の3章15節では、「彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」とイエス様が十字架の死によってサタンの頭を踏み砕くことが預言されています。また、同じ創世記の49章10節には、「王権はユダを離れず、統治者の足はそこを離れることはない。ついにシロが来て、国々の民は彼に従う。」とあります。これは、ユダ族からメシアが誕生するという預言です。また、サムエル記Ⅱ7章12~13節では、「彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」とあります。これは、預言者ナタンによって、ダビデの子孫から出る世継ぎの子が王国を確立させ、神様がこの王国の王座をとこしえまでも堅く立てるとダビデに語られた預言です。
 さらに、イザヤ書53章5節では、「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。」と、イエス様が十字架で私たちに罪の身代りとして死なれることが、あたかも目の前で十字架につけられているイエス様を見ているかのようにはっきりと記されてます。また、ダニエル書9章25~26節では、イエス様の誕生が紀元前32年であることが預言されています。
 神様は、聖書を通して救い主がお生まれになる事をあらかじめ預言され、また十字架につけられて死なれること、そして復活されることを、また神様のご計画によってその預言が実現する事をはっきりと聖書に記しておられるのです。もっとも大切な事はイエス様が死んで終わられたのではなく、よみがえられたという事です。
 神様が3000年以上も前から、40人以上の人たちを通して語られた聖書のことばは、すべて成就してきたのです。そして、聖書に預言されたとおり、イエス様がよみがえられたからこそ、私たちはイエス・キリストを真の神様であると信じる事ができるのです。また、イエス様がよみがえられたからこそ、私たちの宣教には力があるのです。「そして、キリストが復活されなかったら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなた方の信仰も実質のないものになるのです。」(コリントⅠ15章14節)

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