「あなたがたで何か食べるものを上げなさい。」(ルカの福音書9章10~17節)

 弟子たちはイエス様から、すべての悪霊を追い出し、病気を癒すための力と権威を授けられ、村から村へと回りながら、至る所で福音を宣べ伝え、病気を直して帰って来ました。ここで弟子たちがまず行ったことは、自分たちのしてきたことをイエス様に報告することでした。(10節)このことは大変重要なことで、イエス様と弟子たちの関係のあり方を現わしています。私たちもここから、私たちと神様との関係を見直し、いつも神様に自分の身に起きた出来事を報告する習慣を身につけなければなりません。
 また、イエス様は帰ってきた弟子たちを連れて、ベツサイダという町へひそかに退かれました。(10節)それは、弟子たちを休ませるためでした。別の聖書箇所では、「さあ、あなたがただけで、寂しい所へ出て行って、しばらく休みなさい。」(マルコ6章31節)とあります。彼らは、ゆっくり食事をする暇もないほど忙しかったのです。
 ここでの二番目のポイントは「休む」ということです。イエス様は弟子たちの疲れを癒そうと思えば簡単に癒すことのできるお方です。そのイエス様が、弟子たちに「休みなさい。」と言われたことには二つの目的がありました。第一に、神様との交わりの時を持つということです。第二は、文字通り、体を休めることです。「安息日」の語源には、「止める」という意味があります。今していることを止めて、静まることです。また、休むことは神様を待ち望むことです。そうすることで、また新しい神様の力が注がれるのです。
 ところで、この箇所ではイエス様も弟子たちもゆっくり休むことはできませんでした。多くの群衆が彼らの後についてきたからです。(11節)イエス様は福音を語り、癒しの必要な方を癒されました。やがて日が暮れ始めたので、弟子たちは群衆を解散させて下さいとイエス様に言いました。とても常識的な判断ですが、イエス様は「あなたがたで何か食べるものを上げなさい。」と言われました。これまで村々をまわり大胆に福音を語り、癒しを行って帰ってきた弟子たちに、その続きを行いなさいとチャレンジを与えられたのです。しかし、そこには「五つのパンと二匹の魚」しかありませんでした。弟子たちはそれを見て絶望していたのです。イエス様は、そんな弟子たちを用いて、そこにいた約二万人の人々を給食されました。その方法はおそらく、イエス様が直接人々にパンを配られたのではなく、まず弟子たちに裂いてパンを渡され、弟子たちが持っていたパンを用いて奇跡を行われたのです。そしてパンは十二の籠いっぱいに余りました。神様は私たちの持っているものを用いて下さいます。私たちの持っているものを神様のために用いる時、それは更に豊かになっていきます。私たちの持っている物をすべて捧げても、神様は私たちの分をしっかり残していて下さいます。二万人の人々が食べて満腹しても、弟子たちのために十二の籠いっぱいにパンを残して下さったように。あなたの持っているものを神様のために捧げ仕えていきましょう。神様は、いつくしみと恵みとが追ってくる人生をあなたのために備えて下さいます。
永井信義師(拡大宣教学院院長・東北中央教会主任牧師)

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