誠実な祈り (第Ⅱ列王記20章1~6節)

 ヒゼキヤは神にあって偉大な人物でした。ところが、彼は病気にかかってしまって、その病気の故に死にかかっている状態でした。彼は顔を壁に向けて神様に必死に祈り始めました。「顔を壁に向けて」というところで、ヒゼキヤが他に気を散らさず、その心を神様にだけに向けていたということが分かります。ヒゼキヤは「ああ、主よ。どうか思い出して下さい。私がまことを尽くし、全き心をもって、あなたの御前に歩み、あなたがよいと見られることを行ってきたことを。」(3節)と、神様の前に出て、大声で泣きました。彼は、自分は神様の為にいろんなことをしてきたと訴えました。しかし、ここで注意してみなければならないのは、彼の「神様の為に」という言葉は、「神様が行えと言われたことを忠実に行ってきた」という意味です。
 初め、預言者イザヤはヒゼキヤのところに来て「あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。直らない。」と言いました。しかし、イザヤがまだ中庭を出ない内に神様の言葉が彼の内に与えられ、ヒゼキヤのところに引き返してこう言ったのです。「主はこう仰せられる『わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。わたしはあなたをいやす。三日目には、あなたは主の宮に上ぼる。』」と。
 神様は、ヒゼキヤの涙の祈りを聞かれ、寿命を15年加えると約束して下さいました。彼は、神様が自分を更に用いて下さるということを心から喜びました。死のうとしていたヒゼキヤに癒しが与えられ、寿命が延ばされたのは、彼を通して更に多くの人を救おうという神様の御心の故でした。
 ヒゼキヤの涙の祈りによって「齢が15年加えられる」という奇跡が起こりました。このように、神様は、私たちの誠実な祈り、涙の祈りを通して多くの奇跡の御業を行いたいと願っておられます。 
 ヨエル書には、「主に仕える祭司たちは、神殿の玄関の間と祭壇との間で、泣いて言え。」(2:17)と書かれてあります。何故ヨエルは泣くように祭司達に言ったのでしょうか。それは、その祈りの涙の中に神様の力が現れるからです。マタイの6章には、私たちが祈る時には奥まった部屋で誰にも見られないようにしなさい。と書かれてあります。これは、人間的なもの(傲慢、自慢、優越感など)を排除して、ただひたすら神様に心を向けて祈ることが必要だということです。
 神様は私たちを神様のご用の為に遣わされました。そして、そのご計画に従って召された人々の為に、神様はすべてのことを働かせて益として下さる(ローマ8:28)と約束して下さっています。この「すべてのこと」には「祈り」も入っているということを知らなければなりません。祈りの成就を神様は願っておられます。
 神様が求めておられるのは、涙を流して捧げる「誠実な祈り」です。旧約聖書では、不妊の女性であったハンナが涙をもって誠実な祈りをし、その祈りを神様は聞いて下さり子供が与えられました。ダビデ、ネヘミヤ、エステルも私たちの良い見本です。神様はそれぞれに重荷を与えられ、祈りをもってそれを行わせました。
 真剣に心を注いで涙を流す祈りは必ず天に届きます。神様は誠実な祈りを求めておられるのです。更に信仰を持って祈り続けましょう。

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