地の塩として(マタイの福音書5章13節)

「あなたがたは、地の塩です。もし塩がけをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。」(マタイの福音書5:13) 
 江戸時代、三代将軍である徳川家光が、家臣だった大久保彦左衛門にこのような質問しました。「この世で一番おいしくない食べものは何か?」すると彦左衛門は「それは塩です。塩を一口食べるなど、とんでもないことです。」と答えました。
 また将軍は質問しました。「では、この世で一番美味しいものは何か?」すると、彦左衛門はこう答えました。「それも塩です。塩を一振りかけただけで、食べ物が美味しくなります。」
塩は、とても不思議な食べ物です。単品では美味しくないけれども、名わき役として、他の物の味を上手に引き立ててくれるのです。
 イエス様は、私たちに「あなたは地の塩です。」と言われます。
それは、あなたの役割は、「人を引き立て、人に仕えること」だということです。
 ピリピ人への手紙2:3~9には、「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。~」と書かれてあります。
 このように、へりくだって人を自分よりもすぐれた者とし、相手を立てて仕えるならば、そこに神様の働きが始まり、愛が完成するのです。(第一コリント13章)
「自分の利益を求めない」とは、「相手の立場や相手の考えを認めてあげる」、「相手を立ててあげる」という意味があります。
それは、もちろん人に対しても必要なことですが、一番にこれを実行していかなければならないのは、神様に対してです。
神様は、私たちに「自分を無にして、神様の御言葉を優先し、それに従うこと」を求めておられます。
 時に、神様の働きを自分自身が邪魔してしまうことがあります。どういうことかというと、「自分の考えや思いを優先し、神様の働く余地を与えない」ということです。私たちは、私たちの思いをすべて神様に明け渡し、心(器)をからっぽにする必要があります。その時に、神様の力が十分に働かれ、私たちを「地の塩」として、人に仕える者として、人の為の「引き立て役」として用いて下さるのです。
 私たちが、神様が自分の与えて下さっている賜物をもって、自分に出来ることをすれば良いのです。「だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えて下さった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。~兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりもまさっていると思いなさい。」(ローマ人への手紙12:3~10) 私たちは地域、職場、学校に振りかけられた塩です。自分が目立つのではなく、徹底して人に仕え、その姿を通して神様に現れていただくのです。地の塩として、すべての栄光を神様に帰していきましょう。
(チャペル延岡 田崎敏明師)

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