全地よ。主に向かって喜びの声をあげよ。 (詩篇100篇)

 詩篇100篇は「感謝の賛歌」と言われています。主を賛美することはすばらしいことです。なぜなら賛美の上に神様の臨在が現れるからです。また、イスラエルの神は賛美の上に座しておられると聖書は言っています。私たちが賛美するとき、そこに主の臨在が現れてきます。そして、神様の業があなたのこころの内に起こり、あなたの霊にふれて下さり、感動を覚えます。また、心から主を賛美することは、人にも感動を与えます。また、主の霊が働くと、その人が用いられます。
 詩篇100:1には、「喜びの声をあげよ!」とあります。
何故、喜びの声を上げるのでしょうか?
 それは神様が「ヤァウェ・イルエ(備えの主)」であるからです。神様にお仕えしていく限り、私たちに必要なものは、神様がすべて備えて下さいます。かつてアブラハムが、神様から「あなたのひとり息子であるイサクをささげよ。」と命じられた時、アブラハムは心から神様を「備えの主」と信じ、たとえイサクをいけにえとして捧げても、またよみがえらせて下さると望みを抱いてその命令に従いました。神様は、その信仰を見て喜ばれ、イサクに代わるいけにえを備えて下さいました。私たちがどのような問題に直面しても、神様はいつも時にかなったことをして下さり、必要なものを備えて下さいます。だから喜ぶことが出来るのです。
 また神様は、「エル・ロイ(見ておられる神様」(創世記16:13)なる方です。ハガルは息子のイシュマエルと共に荒野で途方にくれていました。その時御使いが彼女の前に現れ、息子の将来を約束してくれたのです。その時に、主の御名は「ヤァウェ・ロイ」と言われたのです。神様はいつも見ておられる神様です。
 私たちが、孤独を感じ、寂しい思いをしている時も、神様はあなたを見放さず、見捨てず、いつも私たちを見ておられ、共にいて下さるのです。
 また神様は「エホバ・ニシ(勝利たもう主)」(出エジプト17:19)なる方です。
 かつてイスラエルがアマレクと戦った時、モーセが杖をあげている時はイスラエルが優勢になり、モーセが杖をおろすとアマレクが優勢になりました。アロンとフルがモーセの腕を支え、イスラエルが勝利をおさめました。アマレクは肉の力をあらわします。私たちの人生は荒野を旅しているようなもので、様々な問題が起こってきては私たちの信仰を奪おうとします。それに勝利するのは神様の力、聖霊の力によってでしかありません。祈りの手があげられる時、聖霊の力が注がれ、肉の力(憎しみ、恨み、様々な罪)に打ち勝つことが出来るのです。
 神様は、私たちに最善のことをして下さいます。私たちが祈り求める時、私たちを聖別し、聖霊で満たし、喜びを与えて下さいます。
そして、心から主の御名を賛美する者へと変えて下さるのです。

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