召天者記念礼拝 ~主は私の羊飼い。~(詩篇23編)

 私たちは、すでに天に召された聖徒達にならって信仰の道を走り、完走したいと願います。にわとりの雛が母鳥の羽の下にいるように、聖徒達は、天におられる神様の御翼の陰の中で安らぎを得ているのです。私たちの人生は、死んで終わりではありません。死んだ後にどこへ行くのかをはっきりと知る必要があります。
 死は突然やってきます。ですから、私たちはいつも備えておかなければなりません。死という問題に対し、しっかりと解決を持っている人は何もおそれることはありません。しかし、備えていない人は、死に対して恐怖を抱きます。
 かつて迫害され、殉教した人たちは死をおそれませんでした。彼らは、死んだ後の世界について確信を持っていたからです。
 詩篇23篇は、クリスチャンの召天式に世界中で用いられる有名な箇所です。
 神様は、羊飼いのごとく、羊のようにさまよいやすい私たちを見守り、祝福の地である緑の牧場に、また憩いの水のほとりに伴って下さいます。神様は、私たちに生きる力を与え、いのちの水を与えて下さるお方です。私たちは、羊のように無防備で猛獣に狙われやすい者です。また、羊飼いから離れてしまうと、自分が今どの場所にいるのかも分からない、つまり自分の価値を見い出すことが出来なくなるような者です。価値が分からなくなると、何のために生きているのか分からなくなり、むなしさを感じるようになります。そのために自分で死を選ぶようになるのです。このように人間は弱い者です。
私たちには、羊のように牧者が必要です。私たちの人生を最初から最後まで知っておられる方に、ついていく必要があります。
 聖書には、神様が人間を神様の目的のために造られたと書いてあります。初め、アダムとエバを造りエデンの園に置きました。彼らは何不自由なく暮らしました。しかし、彼らはもっと良い物がほしいという欲から、禁じられていた善悪を知る木の実を食べ、エデンの園から追放されてしまいました。彼らが、「いつも喜び、絶えず祈り、すべてことについて感謝せよ。」という戒めを忘れてしまった時に、サタンが働きかけ、その誘惑に負けてしまいました。その罪が「死」を生み出したのです。(創世記1章~3章)
 しかし、神様は「死」を打ち破る方をこの地上に送って下さいました。イエス様こそ、人類のすべての罪を引き受けて十字架にかかって下さり3日目によみがえられた真の救い主です。
 「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」と言われたイエス様こそ私たちの羊飼いです。イエス様の御言葉に従う時、人生の意味を見い出し、希望の道を歩めるのです。試練の時も「私は災いを恐れません。あなたが私と共におられますから。」と告白することが出来るのです。イエス様を信じる人は、もはや「死」も怖くありません。肉体は滅びても、霊は神様の御もとに行くことを知っているからです。神様を信じましょう。神様はあなたを愛しておられます。

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