神様は誰を用いるか(ヨシュア記13章1節)

 聖書の中には「あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、また、あなたの神を恐れなければならない。わたしは主である。」(レビ記19:32)と書かれてあります。聖書はこのように、「老人を尊び敬いなさい」と言っています。
 この世の中では、老人というと、「年を取って体も思うように動かない」、「仕事が出来ない」、ということで邪魔者扱いされるところもあると聞きます。しかし、そうであってはならないのです。
聖書は、私たちに「私たちも同じ道をたどるということを忘れてはならない。」と教えます。私たちが老人にする行いは、やがて自分に返ってくるのです。十戒には「父と母を敬え。そうすればあなたは長生きする。」とあります。考え方を変えなければなりません。
 お年寄りを大事にすることは、麗しいことです。ガーナ人の留学生がこのように言っていました。「私たちの国では、お年寄りが亡くなるということは、一つの図書館を消失するのに似ている」と。それだけ、老人は知恵の宝庫と言われているのです。老人から、私たちは色々な知恵をいただくことが出来ます。ですから、私たちは、「白髪の老人の前では起立し、老人を敬う」ことは、正しい行いなのです。
 神様が人を用いられる時、その人の歳がいくつであるかは用いる規準にはなりません。歳をとっているいないに関係なく、神様がその人を用いようとされるなら、豊かに主の働きをすることが出来ます。 ヨシュア記13:1には「ヨシュアは年を重ねて老人になった。主は彼に仰せられた。『あなたは年を重ね、老人になったが、まだ占領すべき地がたくさん残っている。』」と書かれてありますが、これは、主が年老いたヨシュアに語られた励ましの言葉です。
 カレブは、ヨシュア14:7~12で「今や私は、今日で85歳になります。しかも、モーセが私を遣わした日のように、今も壮健です。私の今の力は、あの時の力と同様、戦争にも、また日常の出入りにも耐えるのです。」と言っています。このヨシュアとカレブは、かつてモーセに命じられて約束の地カナンの偵察に遣わされた時、他の10人が消極的な報告をしたのにも関わらず、神様の約束を信じ、信仰に立って前進しようとした者達です。神様は、彼らの信仰を喜ばれました。その時に、消極的な者の意見を聞いたモーセとイスラエルの民は40年荒野を旅し、約束の地に入ることを許されませんでしたが、ヨシュアとカレブはカナンに足を踏み入れることが許されました。
 カナンは乳と密の流れる祝福の地です。そこに私たちは入る必要があります。神様のおことばを信じ、感謝する時に祝福の地に入ることが出来るのです。年を取っても、ビジョンを忘れず前進していくことが大事です。約束の地カナンは神の国の「ひな型」です。神様がヨシュアに「まだ占領すべき地がたくさん残っている。」と語られたように、私たちにも「神の国の祝福が沢山あるから、それを獲りなさい!」と言っておられるのです。不平や不満は荒野をさまよわせるだけです。感謝する時に約束の地に入ることが出来るのです。神様の約束にしっかりと立つ時、主の祝福を見ることが出来ます。そこでは、カレブのように歳を感じることはなく、力と感謝と喜びに満たされるのです。

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