永遠のいのちへの水(ヨハネの福音書4章1~15節)

「この水を飲む者はだれでも渇きます。しかし、わたしが与える水を飲むものはだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」 (ヨハネの福音書4:1~15)

 私たちの人生において、なかなか思うようにいかないということが多々あります。しかし、それらを乗り越える時、人はあらゆる面で成長することが出来ます。信仰生活においてもそうです。イエス様を信じて神様の子とされ、永遠のいのちをいただいて順風満帆と言いたいところですが、そうではなく様々な試練に押しつぶされそうになることも現実です。「主は愛する者を訓練する」と聖書は言っていますが、神様は、試みの中でイエス様に頼ることを教えて下さいます。すべての問題の解決はイエス様のもとにあるからです。
誰もがイエス様との出会いを必要としているということを私たちは知らなくてはなりません。
 ここにサマリヤの女が出てきます。この女性は、5人の男性と結婚し、6人目の男性と同棲しているという状態でした。結婚に幸せを見いだそうとしましたが、そこには失望しかなかったのです。そのような中で、彼女の祈りが天に届きました。彼女の祈りについて、聖書には一言も出てきません。しかし、「しかし、サマリヤを通っていかなければならなかった」というところに彼女の祈りが隠されているのです。彼女の必死の祈りはイエス様を動かしました。ユダヤとサマリヤは犬猿の仲故、エルサレムに行くのもサマリヤを避けて遠回りをするのが当たり前でした。しかし、イエス様があえてサマリヤを通らなければならなかったのは、彼女の祈りに引き寄せられたからです。
 イエス様は、サマリヤの女に出会い、「わたしに水を飲ませて下さい。」と言いました。日中で誰も水を汲みに来る時間ではない時に。この女性は、自分のだらしない生活を避難されるのを恐れていつも人目につかないよう隠れて水を汲みに来ていました。ですから、彼女の周りには誰もいなかったのです。そのような時、イエス様は彼女に声をかけられました。
 私たちが誰にも頼れず、孤独を感じ、失意のどん底にいる時、そのような時にイエス様と本当の意味で出会うことが出来ます。イエス様は彼女の心も過去の出来事もすべて知っていました。
 彼女は、メシヤを求めていました。そしてイエス様に出会った時、イエス様こそ救い主だと確信したのです。今まで自分の生活を惨めに思いながら生きてきました。しかし、イエス様に出会った時、彼女は新しく変えられ、人々の前に出て行って「来て、見て下さい!私のしたことを全部私に言った人がいるのです!」と言って、イエス様のことを人々に紹介するほどに変えられたのです。
 イエス様との出会い、そしてイエス様との交わりこそが人生を新しく変え、決して渇くことのない水をいただけるのです。その水はその人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。
「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりにその人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(ヨハネ7:38) 

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