満ち足りる方法(ルカ6章38節)

 世の中を見ていく時、いつも人々は受けることを望んでいるように思います。
 ある老人ホームで、一人の老母を見かけました。その方は90歳くらいのご婦人なのですが、「誰か、私にいい子いい子して。私を抱っこして。」と叫んでいるのです。若い時は夫に仕え、子供の世話に追われ、時間も労力もすべて家族に費やして来られた方なのでしょう。
今になって、ずっと抱いていた魂の叫びが出てきたのではないでしょうか。
 「人が求めているものは、人の変わらぬ愛である」と聖書に書かれてある通り、人は皆「自分を愛してほしい」と願っています。「もっともっと愛を受けたい」それが人間の本心です。
 神様の愛は与えて減るものではなく、与えれば与えれるだけ豊かになる、量り知ることの出来ない素晴らしい愛です。
 箴言11:24~25には「ばらまいても、なお富む人があり、正当な支払いを惜しんでも、かえって乏しくなる者がある。おおらかな人は肥え、人を潤す者は自分も潤される。」とあります。
与えて富む人がいる、かと思えば与えないで乏しくなる人がいるというのです。
 イエス様は「与えなさい。そうすれば自分も与えられます。人々は量りを良くして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにしてふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」(ルカ6:38)と言われました。
 ここでイエス様は、与えられる方法はまず与えることだと教えて下さっています。これは霊の目が開かれていないとなかなか理解出来ないことですが、私たちはいつも神様に霊の目を開いていただいて、神様の方法を実行する必要があります。
 この方法を知らない人は、いつも「愛が欲しい、もっと与えて欲しい、これだけでは満足出来ない、愛されていない」と不平不満だらけになり人をも傷つけてしまいます。
 私たちが満ち足りたいと思うなら、まず「与える」ことです。この与える愛は、自分の愛では実行することは不可能です。なぜなら、人間の愛には限界があるので、与え続けることが出来ないのです。
 しかし、与えても与えても限りなく溢れ出る愛があります。それは、神様の愛です。神様の愛は、愛する独り子イエス様を罪人の身代わりに十字架にかけて下さったほどの大きな愛です。この神様の愛が私たちに永遠のいのちを与えて下さったのです。この量り知れない神様の愛を受けた時に、聖霊が注がれ、私たちは人々に愛を与えていくことが出来ます。「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(ローマ5:5)私たちは聖霊によって愛の勝利者となることが出来ます。「私たちは、私たちを愛して下さった方によって、これらすべてのことの中にあっても圧倒的な勝利者となるのです。」(ローマ8:37)神様の愛を人々に与え続けましょう。そうすれば、あなたは益々神様に愛される者となり、満ち足りることが出来ます。

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