神の臨在(詩篇132篇)

 この箇所は、「都上りの歌」と言われ、巡礼でユダヤ人がエルサレムに上っていく際、歌っていたものです。14節には「これはとこしえに、わたしの安息の場所、ここにわたしは住もう。わたしがそれを望んだから。」とあります。  
 ダビデは、神の宮を建てようと決心しました。しかし神様は、ダビデには自分の家を建てさせ、ダビデの息子に神様の宮である神殿を建てさせると言われたのです(第一歴代誌22章)。
 「主のために家を建てる」ということは、彼の素晴らしいアイディアでした。しかし、それは神様のみこころではなかったのです。
そこで、彼は自分の考えとは違いましたが、神様のことばに従い、神の宮を建てるための材料を揃えるということに力を注ぎました。
 ダビデは、神様のご臨在ということを非常に求めた人物でした。「主よ。立ち上がって下さい。あなたの安息の場所にお入り下さい。あなたと、あなたの御力の箱も。」(8節)
 かつて、神の箱がペリシテ人の手に渡り、16年もの間イスラエルが神様から離れた生活を強いられたという経験、また自分が罪を犯したときに神様の怒りを預言者を通して知り、悔い改めて赦しを求めた経験(第二サムエル記11章)から、神様が離れてしまうことの恐ろしさを身にしみて分かっていました。それと同時に、神様と共に歩むことの祝福も知っていたのです。ダビデの、主の御言葉にいつも謙遜な姿勢が神様の前に忠実な者として喜ばれました。
 神様は、ご自分の好まれる所に住まわれるお方です。「主はシオンを選び、それをご自分の住かとして選ばれた。」(13節)
 そして今日、神様がシオンを選ばれたように、教会を神様のご臨在される場所として選ばれました。「二人でも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」(マタイ18:20)
 そこで、神様は私たちに霊的な食物、つまり御言葉を与えて下さり、祝福し、信仰で満ちたらせて下さるのです。「わたしは豊かにシオンの食物を祝福し、その貧しい者をパンで満ちたらせよう。」(15節)
 「救われた」という信仰、私たちの国籍は天にあるという信仰です。「その祭司らに救いを着せよう。その聖徒らは多いに喜ぼう。」(16節)信仰を豊かに持つとき、私たちは喜びに満たされます。
 サタンはイエス様を十字架につけ、自分が勝利したつもりでいましたが、イエス様は3日目によみがえられ、サタンの頭を打ち砕きました。「わたしはかれの敵に恥を着せる」(18節)。そして天に昇られたイエス様に代わって聖霊様が私たちの上に下られたのです。「わたしは、わたしに油注がれた者のために一つのともしびを備えている。」(17節)聖霊様によって私たちは真理を深く知ることが出来ます。
 今、福音によってすべての人が救われるという事実があります。「彼の上には、彼の冠が光り輝くであろう。」(18節)
 イエス様の十字架の元にいく時、神様のご臨在に触れることが出来、人々は新しく変えられ、祝福と喜びに満たされる経験をするのです。

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