真の自由とは(ローマ8章1,2節)

「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ8:30~34)

 ある人は、名言や格言などを人生の指針として、そのように生きたいと願います。しかし、それが幸せを呼ぶものかというとそうではありません。むしろ目標に到達することが出来ず、挫折を覚えてしまう人が多くいます。このように、人は理想と現実の中で、もどかしさを覚え悩んでいるのです。
 「真理はあなたがたを自由にします」という言葉が、国会図書館のカウンターの上に掲げてあるそうです。図書館にあるということは、「沢山の知識が真理を見い出す」ことを私たちに示そうとしているのではないでしょうか。しかし、はたしてそうでしょうか。
 知識が善悪を判断し、あなたを豊かにし、自由な幸せな生活を与えてくれるのでしょうか。
 もちろん、知識を得ることは大切なことです。しかし、それがすべててはありません。知識ではどうすることも出来ないことがあるのです。それは、見える世界ではなく、見えない世界、霊的な世界(信仰生活)においてやってきます。
 イエス様の「自由になる」という言葉に、ユダヤ人達は「自分は奴隷ではない」と反論しました。しかし、更にイエス様はこう言われました。「罪を行っている者はみな、罪の奴隷です。」と。
「罪」とは「四」と「非(べからざる)」からなっています。聖書の中の十戒(出エジプト20章)は、神様に対して守らなければならない4つの戒め「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。~」、また人に対して守らなければならない6つの戒めからなっています。
 まことの神様を知ろうとせず、神様に背を向け、十戒に背いた生活をする者は「罪」に定められます。その罪は、私たちがしたいと思っていることではなく、したくない悪を行わせます。つまり罪の奴隷となるのです。しかし、イエス様を信じ、神様と共に生活する者は、もはや「罪」から解放され、自由になります。「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理からあなたを解放したからです。」(ローマ8:1,2)
 ユダヤ人は十戒を厳しく守り、宮での礼拝も欠かしませんでした。しかし、イエス様を救い主として受け入れないことに問題がありました。彼らにとっての十戒は、罪を自覚させるものでしかなく、そこには「守っている、行っている」という誇りだけしかなかったのです。
 イエス様は、「私の弟子となりなさい。」と言われました。それはイエス様を救い主と受け入れ、イエス様のことばに従う時に真理を知るということを教える為でした。
 イエス様に(罪からの)救いがあり、イエス様に真理があります。そして、イエス様だけが、私たちに本当の自由を与えて下さるのです。

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