「主に不可能なことがあろうか。」(創世記18章9節~)

 主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。
あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」
アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。(創世記12:1~3)
 彼は、何処へ行くのか分からないで出て行きました。(ヘブル11:8)彼が75才の時です。
 アブラハムが85才になりましたが、約束の子供が与えられません。妻のサライは、子どもが産めない体だったので待ちきれずに、女奴隷のハガルにアブラハムの子を孕ませ男の子を得ました。それが、イシュマエルです。
 しかし、それは、人間的な方法で神の御心ではありませんでした。神様の約束は、彼が100才になってから成就したのです。
その時妻のサライは90才で、「アブラハムとサラは老人になって、普通に女にあることがすでに止まっていた。」(創世記18:11)状態でしたが、「神にとって不可能な事は一つもないのです。」(ルカ1:37)「全能の神」は、「神の時」に、約束を成就して下さるのです。そこに、途方に暮れてもいきづまらない信仰があります。
「 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。」(Ⅱコリ4:8)
 人間的な望みは皆絶ちきられ、どん底に落とされるような時、そこが神様の栄光を現される最高の舞台が整ったところです。忍耐を持って待ちのぞきましょう。「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」(ヘブル 10:36 )  私たちも聖書の示す信仰によりみことばに従い、神の栄光を待ち望んでいきましょう。

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