私は福音を恥とは思いません(ローマ人への手紙1章14~16節)

「私は福音を恥とは思いません。福音はユダヤ人をはじめギリシャ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。」               (ローマ人への手紙1:14~16)

これは、かつてクリスチャンを激しく迫害していたパウロの言葉です。彼は、ダマスコの途上でイエス様の声を聞き、「自分が迫害していたイエス様こそが救い主だった!」と、劇的な改心を遂げました。 「福音」とは、「信じるすべての人にとって神の力」です。福音の語源は、戦場からの吉報からきています。戦争で「勝つ」ことは重要なことでした。勝てば戦利品で国が潤されます。しかし、負ければ皆殺されるか、財産を奪われ奴隷となるかのどちらかだったからです。ですから、勝敗の知らせはすべての人の関心ごとでした。国民は、その知らせが来るまで、この先どうなるのか「死ぬか生きるか」という不安の中で過ごします。しかし、伝令がきて「勝ったぞ~!」という声を聞く時、皆は飛び上がって喜び、すべての不安から解放されるのです。これが「福音」です。
 ここでの、伝令が来るまでの「不安の中に生きる生活」は、イエス様の救いを知らない人の生活を指します。人々はこの世での問題や悩みの中でいつも「死」を恐れて生きています。
 吉報を聞いて喜ぶ人々の姿は、イエス様の救いを受けて罪から解放された人々の姿を現します。イエス様は十字架の上で勝利をとられました。ですから、イエス様を信じる私たちもイエス様の十字架の勝利の故に世に勝つことが出来るのです。「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネの福音書6:33)
 人は神様からほど遠い生活を送っていました。罪の支配の中にいたのです。しかし、イエス様は、神の御姿であったのにも関わらず、私たちの救いの為に人間の姿をとり、乙女マリヤを通してこの地上にお生まれになりました。
 何故ですか?
それは、神様にとってあなたは価値ある者だからです。あなたは、神様に愛されて造られたからです。福音こそ、私たちに自由と解放を与える神の力なのです。そして、イエス様の御降誕こそ福音の第一報なのです。この福音を、私たちは喜びをもって人々に伝えましょう!

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