神の怒りと神の愛

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16~36)
 この箇所は、聖書の中の聖書と言われるところです。
かつて、マルチン・ルターは、「ほかの聖書の箇所がなかったとしても、この聖書の箇所さえあれば、人は救われる」と言いました。
 36節には、「御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」と書かれてあります。「その上」の「その」とは、「罪」を指しています。そして「罪」とは「神を神と認めない生活、神様に背いた生活」です。その「罪」の上に神様の怒りがとどまるのです。
 アダムとエバは、神様によって何不自由ない生活を与えられていたのにも関わらず、「いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝する」という戒めを忘れてしまいました。そして「もっと良いものを」という欲望にかられた時に、サタンの誘惑に負けてしまいました。神様の声に背いてしまったのです。その「罪」によって、神様と人間の関係は断絶され、彼らはエデンの園から追放されました。これが第一の神の怒りです。そこから、人間は善悪を自分で判断するようになり、益々、神様から離れる生活をするようになったのです。
 人には必ず死がおとずれます。そこで神様の前で裁かれ、世の終わりの日には永遠の滅びの中に投げ込まれるのです。これが第二の神の怒りです。
 しかし、神様は人間に「神を思う心、神を求める心」をお与えになり救い主をこの世に送って下さいました。
 イエス様は、すべての人が滅びの穴から救われるようにと天から遣わされたお方です。この「天から」というところに、イエス様の神性を見ることが出来、全能なる神様を信じることが出来ます。イエス様は、人となってこの地に来て下さり、私たちの罪を背負われ十字架にかかって下さいました。その愛の故に、私たちは神の怒りから逃れることが出来、そればかりではなく、神の子とされ、永遠のいのちが与えられたのです。イエス様の愛にとどまり、神様の声に従っていきましょう。今、神様の愛があなたの上にとどまっているのです。

コメントを残す

コメントを投稿するにはログインしてください。