わたしは世の光です。

「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネ8:12~19)

 イエス様は、「あなたがたは、わたしがどこから来たのか、またどこへ行くのか知りません。」と言いました。
当時のユダヤ人は、この言葉の意味を理解することが出来ませんでした。しかし、私たちは、この聖書を通して理解することが出来るから幸いです。聖書には、神のひとり子なる方が、人間の姿を通してこの地上に来られたと書いてあります。(ヨハネ1章)イエス様は天から来られた永遠なるお方です。
 この世の中には、学者や哲学者、宗教家など立派な人は沢山おられます。しかし、どんなに素晴らしい人であっても、その人たちは地から生まれ、地のちりに帰る人たちです。死んでしまえば、その教えが真実であったかも定かではありません。しかし、イエス様は違います。イエス様は、天から来られ、人々の罪をご自身の身に引き受けて十字架にかかり、死んで葬られ、3日目によみがえり、今も生きて働かれている全能の神です。神様のことばは一点一画もすたれることはないのです。
 イエス様の前に、姦淫の現場で捕らえられた女が連れて来られました。モーセの律法によれば石打ちの刑は確実でした。しかし、イエス様は「罪のないものが、最初に彼女に石を投げなさい。」と言われ、みんなが去って行ったあとで「わたしもあなたを罪に定めない。今からは決して罪を犯してはならない。」と言って彼女を帰らせました。
「罪」に対し「裁き」は必ずあります。しかし、イエス様は、彼女を罰することはしませんでした。イエス様ご自身が彼女の罪を背負い、罪の罰を引き受けて下さったのです。忘れてはいけません。私たちクリスチャンは、姦淫の女と同様、罪贖われた者なのです。
 イエス様は、罪を犯し、闇の中を歩む者にとって「光」となって下さるお方です。イエス様に従うなら、罪赦され、永遠のいのち、光の生活を持つことが出来るのです。
 天から来られたイエス様は、すべてをご存じです。私たちは、イエス様のことば(聖書)によって、人間の造られた目的、人生の歩み方を知ることが出来ます。そして、御言葉に従うことによって、光の道を歩むことが出来るのです。御言葉は真実で、人の光です。信じましょう。

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