信仰

「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」(ヘブル11:1)
 一般の人が使う「信仰」と、聖書が言う「信仰」は意味が違います。聖書がしめす「信仰」は、神様が私たちの内に与えて下さる「望み」であり、「確信」です。そして、そればかりではなく、それを実現に至らせて下さる保証であります。
17節にはこう書かれてあります。
「信仰によってアブラハムは、試みられたときイサクをささげました。彼は約束を与えられていましたが、自分のただひとり子をささげたのです。神はアブラハムに対して、『イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる。』と言われたのですが、彼は神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです。これは型です。」
「信仰」は、目に見えるものではなく、人の「考え方」にあります。その人が「どのように考えているか」、それが、今後その人が「どのように生きるか」につながっているのです。自分の人生をのろい、悪い考えを持っている人は、それが不幸な生き方につながっていきます。反対に、「神様を恐れ、神様の命令を守ることが人間の本分なのだ」と、考え、御言葉に従って生きる人は幸せな人生へと導かれます。
 楽しんで生きる道は、神様から「信仰」をいただいて歩む道です。
何故なら、私たちが人生に行き詰った時でも、神様は「主にあって出来る!」という信仰を与えて下さり、問題を乗り越える力を与えて下さるからです。
 聖書には、百人隊長の話が出てきます。彼の僕が病に倒れた時、彼はイエス様のところに行き、「ただお言葉を下さい。それによって私の僕は直ります。」と言いました。彼は、プライドを捨ててイエス様にお願いしました。イエス様は彼の信仰を喜ばれ、瞬間的に僕の病を癒されました。彼は「お言葉さえいただければ直る」と考え、その通りのことが起こりました。それが、彼の信仰です。
 私たちは、神様がどのようなお方であるか、しっかりと見極め悟る必要があります。神様は、「みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、ことを行わせてくださる」(ピリピ2:13)お方です。どのように思うか、どのように考えるかが重要です。
「神様はきっと願いを聞いてくださる!」その確信が「信仰」です。あなたの信じたとおりになると聖書は約束しています。「~祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすればそのとおりになります。~」(マルコ11:22~25)
全能の神様が共にいて下さいます。信じて祈り続けましょう。

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