キリストの復活の力を知る(ピリピ3章10~14節)

 イエス様は死を打ち破り、よみがえられました。パウロは、その復活の力を得たいと言っています。
 死を恐れず、何事にも動じず、上に召してくださる神様の栄光を望んで生きる、そのような力強い者になりたいと願っているというのです。パウロは、それを得たのではない、また完全にされたということでもない。それを捕らえようとして追求しているだと語っています。そして、その追求の力の根源は「キリスト・イエスがそれを得るようにと捕らえて下さっている」ことにあると更に私たちに示しています。
 かつてのパウロは、クリスチャンを異端視し、彼らを徹底して滅ぼそうとする熱心なユダヤ教徒でした。しかし、イエス様ご自身がパウロに現れ、彼に語り、そして彼の心を全くちがう者と変えて下さいました。
 イエス様に出会ったパウロは、自分が迫害していたイエス様こそが本当の救い主であったと、力強く福音を宣べ伝え始めました。それは、人々に「彼は疫病のような人間だ」と言われるほどに、福音をいたるところで撒き散らす者へと変えられたのです。
 彼は、だからと言って自分が完全になったとは考えておらず、恥ずべき事や失敗があるけれども、ただ一生懸命この一時に励んでいると言います。「~すなわち、うしろのものを忘れ、ただひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスの栄冠を得るために、目標を目指して一心に走っているのです。」(ピリピ3:13,14)
過去の経歴、過去の失敗に捕らわれない。なぜならイエス様の救いによって罪赦され、新しくされたからと彼は言うのです。
 新しくされたこの喜び、祝福、感動、愛、力。これを1人でも多くの人に伝えなければならないという使命感に燃え、命がけで伝道したのです。それは、上に召して下さる神の栄冠を得るためにでした。
パウロは、人の賞賛を得るためにではなく、自分のためにではなく、ただ神様が与えて下さる栄冠を得るために必死に走っていると言いました。これが本当のクリスチャンの姿です。
 私たちは、いつまでも霊的は赤ちゃんままではいけません。悪意、偽善、ねたみを捨てて、御言葉によって霊的成長を遂げなければなりません。クリスチャンは自分を捨て、十字架を負って神様に従っていかなければなりません。十字架を負うとは、自分を義人とせず罪人となるということです。
 私たちの目標はイエス様です。イエス様は罪人とあざけられつばを吐きかけられましたが、何も弁解せず、黙って十字架にかかって下さいました。私たちも、自分を罪人とし、十字架にかかるなら、多くの人を救うことが出来ます。私たちの目指すところは、イエス様です。御言葉に徹底して従う時、復活の力に預かることが出来ます。「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びの故に、はずかしめをもろともせずに十字架を忍び、神の御座に着座されました。」(エペソ12:2)

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