誰が一番偉い?(マタイ18章)

 イエス様は、時折私たちの理解を超えたことを語られたり、行われたりします。17章には、宮の納入金の問題が出てきます。
 イエス様は本来神であられるお方なので、その義務がないと言われました。しかし、理解出来ないこの世の人々に、つまづきを与えないために税金を支払いました。しかし、その方法は、湖に行って魚を釣り、その口に入っている(もちろん、神様が用意して下さったもの)お金をご自分の分として納めるというものでした。
 その時、弟子達は驚いたものの、「イエス様こそが、一番偉いと思っていたのに、イエス様もこの世に従うのか。では、天の御国では、誰が一番偉いのだろうか。」という疑問が出てきました。
 そこで、イエス様は、小さい子どもを呼び寄せて「あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、はいれません。」と言われ、また「自分を低くする者が、天の御国で一番偉いのです。」とも言われました。
 この後、イエス様は、「つまづき」について語られます。「もし、あなたの手か足の一つがあなたをつまづかせるなら、それを切って捨てなさい。片手片足でいのちに入るほうが両手両足そろっていて永遠の火に投げ込まれるよりは、あなたにとってよいことです。~」
 この「つまづき」は、「悔い改め」を表します。天の御国に入るときは、徹底的に悔い改めて神様の前に出る必要があるということです。
 次に、イエス様は99匹を残して1匹の迷った羊を捜しにいく羊飼いの話をします。これは、神様が造られた人間をどんなに愛し、かけがえのない者として見て下さっているかというメッセージです。
 その後は、もし兄弟が罪を犯したならば、それを戒め悔い改めに導きなさい、と教えています。また、「地上でつなぐなら、天でもつながれており、地上で解くなら、天でも解かれている(罪を赦す権威が与えられているということ)」「どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえて下さいます。」という教会が一致することの重要性と祝福についても語られました。
 教会が一致する為に必要なことは、お互いが自分を低くし、受け入合い、赦し合うことです。人の徳を高め、自分を低くする者に神様は目を留めて下さり、その人を高く上げて下さるのです。 
 ペテロはイエス様に、「何度まで兄弟を赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」と言いました。イエス様は「七度を七十倍するまで。」と答えられ、天の御国の話をされました。
 それは、多くの負債を免除してもらった者が、他の人の小さな負債を赦さずにその人を苦しめたことで、その人自身が怒りを受け、牢獄に入れられたという話でした。
 多くの負債を赦されたのは、私たち自身です。私たちは十字架の贖いによって罪赦された者。私たちは、自分の罪深さを知る時、人々を赦さざるおえない、そのような者です。
 神様は、幼子のように自分の罪を認め、心を低くする者を求めておられます。そのような者が、天の御国で一番高く上げられるのです。

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