水のバプテスマ(洗礼)

「~こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。~」(マタイの福音書3:1~17)

 マタイの福音書3:1~12まではバプテスマのヨハネについて書かれてあります。彼は、預言者イザヤによって、「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。』と言われたその人であり、イエス様が来られる前に、ユダヤ人たちにイエス様を受け入れる準備をするよう、神様によって遣わされた預言者です。彼は「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」と叫び、教えを宣べていました。そして、自分の中心の生き方ではなく、神様の中心の生活を始めるよう強く勧めたのです。特にサドカイ人パリサイ人に対しては厳しく戒め、「選民」という誤った誇りを打ち砕き、真の悔い改めを迫りました。これらのヨハネの説教を聞いて、多くの人々がバプテスマを受けました。
 彼は言いました。「私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方の履物を脱がせてあげる値打ちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。手に箕を持っておられ、ご自分の脱穀場をすみずみまできよめられます。麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」 そこにイエス様が来られます。(13節~)
イエス様は、ヨハネに洗礼を授けるよう願いました。ヨハネはそのような資格はないと拒みましたが、「これは正しいことなのだ」とイエス様が言われたので、ヨハネはその言葉に従い、イエス様に洗礼を授けました。その時、天が開け、父なる神様の祝福の言葉が響いたのです。御霊が鳩のように下り、イエス様の上に留まるのを多くの人が目の当たりにしました。この場面には、父なる神、子なる神(イエス様)、聖霊様の三位一体なる神様の姿が現されています。イエス様は、父なる神様の御心を行い、いつも御霊の示されるままに働きを成しました。 私たちクリスチャンもそのような信仰生活を送る必要があります。洗礼は、イエス様を信じ受け入れるという証です。その時、天が開け父なる神様の祝福を受けることが出来るのです。そして、それと同時に聖霊が導いて下さる生活が始まります。
 私たちは、いつも天を見て、神様の言葉に従い、聖霊に導かれて、信仰生活を歩んでまいりましょう。イエス様を喜び、感謝していく時、祝福の道を歩むことが出来るのです。

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