栄光を帰す

「私たちにではなく、主よ、私たちにではなく、あなたたの恵みとまことのために、栄光をただあなたの御名にのみ帰して下さい。」
                       (詩篇115篇)

 イスラエルの王であるダビデは、神様の前に正しい王様でした。
いつも神様に感謝し、神様に栄光を帰していました。
 しかし、息子であるアブシャロムはダビデとは正反対の歩みをしました。ダビデの晩年に、彼はついに謀反を起こし、父であるダビデを陥れようとしたのです。
 彼は、城の門に立ち、ダビデによって裁きを受けた人々に声をかけ、ダビデの徳を下げるようなことを次々と吹き込みました。そして、「自分だったらこのように裁いてあげるのに。」と人々の心をダビデから自分へと移そうとしたのです。聖書にはこのことを「彼は人々の心を盗んだ。」と書いてあります。彼の企みは失敗に終わりました。
 私たちが、「栄光」を自分のものとする時、それは神様のものを盗んだことになるのです。自分が褒められるため、自分が評価されるため・・・など、自分に人々の関心をもたせることは、神様の御心ではありません。何故なら、その行為が神様の働きを止めさせることになるからです。主によって新しく変えられた者は、「これも神様がして下さった。」「このように神様が良くして下さった。」と、いつも神様を褒めたたえ、栄光を神様に帰する生き方をしなければなりません。
 9節からは、「主に信頼せよ。」という言葉が続けて書かれてあります。これは、「すべては神様の御手の中で行われていることだから、神様に信頼すれば、必ず良いことをして下さる。」という信仰、また神様に栄光を帰することの約束、また神様の業を認めるということです。主に信頼することが、祝福の秘訣だということをご存知ですか?
 人の手のわざ(偶像)には、何の力もありません。形は立派であっても、動くことはなく、語ることもないからです。(2節~8節)
 しかし、私たちの信じる創造主なる神様は違います。天と地を造られ、私たちが生まれる前から、私たちのことを知り尽くしておられる方です。私たちが主を恐れ、主をほめたたえて生きる時、私たちの人生は恵みで満ちあふれたものとなるのです。「主を恐れる者を祝福して下さる。小さな者も、大いなる者も。」(13節)
 これは、変わることのない神様の法則です。
死人(霊的に死んでいる人、神様を信じていない人)は、神様をほめたたえることは出来ません。しかし、私たちは主に出会い、生きている者です!主に信頼し、主の言葉を行い、祝福の道を歩みましょう。

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