神に愛され、人を愛す

「~私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(第一ヨハネ4:5~10)
 私たちは、神様に愛されて、そして初めて人を愛することが出来ます。まず、神様が一方的な愛を私たちに注いで下さいました。
「わたしはほんのしばらくの間、あなたを見捨てたが、大きなあわれみをもって、あなたを集める。怒りがあふれて、ほんのしばらく、わたしの顔をあなたから隠したが、永遠の変わらぬ愛をもって、あなたをあわれむ。」(イザヤ54:7,8)
 しかし、心が傷ついているなら、私たちは「愛」に対して否定的になり、「愛される」ことに対し、恐れを抱いてしまいます。
そのような時、もし、自分の全ての弱さをさらけ出し、神様の愛に人生を委ねるなら、その傷は癒され、「私は愛されるのだろうか、人を愛することが出来るだろうか」などという恐れがなくなります。
「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。」(第一ヨハネ4:18)
「『たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない。』とあなたをあわれむ主は仰せられる。」(イザヤ54:10) 
 神様は、私たち以上に私たちの心の中をご存じです。私たちが、罪を言い表し、互いに愛し合い、祈り合う時、神様の大きな愛がそこに働かれます。自分の力ではなく、神様の力によって動かされるのです。
「ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。」(ヤコブ5:16)
「愛」は御霊の実です。私たちは御霊に満たされる必要があります。
「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。~もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて進もうではありませんか。~」(ガラテヤ5:22~26)
それでは、どうやって御霊に満たされるのでしょう。それは、良い動機(神様の栄光のために)によって「満たし」を求めるなら、その願いはかなえられると聖書は約束して下さっています。「御霊はわたしの栄光を現します。」(ヨハネ16:14)
 私たちは、聖霊によって満たされ続ける必要があります。(マタイ12:43~46)そうすれば、サタンに隙を与えることなく、神様の栄光を現し、御霊の実である愛を実践していくことが出来るのです。

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