わたしはあなたを忘れない

「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、おんなたちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。あなたの城壁は、いつもわたしの前にある。」(イザヤ19:15~17)

 神様の御言葉に従うことは、クリスチャンにとって最高のことです。イスラエルの民が国を追われて2000年。彼らは奇跡的に国を復興し、今栄えています(世界の富の25%占めている)。それは、神様の御言葉を信じて守ってきたからです。彼らは不信仰によって散らされましたが、「また集める」という神様のお言葉通り、世の終わりの印として、彼らはまた一つとなりました。彼らは今や、世界の注目の的です。
イスラエルの民は、彼らの罪の故に、多くの痛みを受け、苦しい道を通ってきました。人々は「あなた方の神は本当にいるのか?生きているのか?」と投げかけてきました。しかし、神様はイスラエルの民を決して見捨てず、見放さず、彼らと共にいて、ずっと導いて下さっていたのです。「たとい、おんなたちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。」(イザヤ19:15)
 母親が、お腹に宿った子どもを一時も忘れることがないように、いや、神様はそれ以上に私たち一人一人を思っていて下さる方です。
 イエス様がこの地上に来られたのは、「あなたを忘れない。」という神様の証です。神様はご自分が造られたすべての者に対して目を留めておられます。
 神様が「あなたを見放さず、あなたを見捨てない」と言われています。そればかりではなく、神様は、私たちの名を忘れないように、その御手に私たちの名を刻んで下さっているのです。
 「名を刻んだ」という言葉には、イエス様の十字架の苦しみ、痛みが含まれています。イエス様は私たちの罪をその身に負い、十字架にかかかり、両手両足を釘で打たれたのです。その尊い犠牲の故に、私たちの名は天に記されているのです。これを忘れてはなりません。
私たちが神様の愛の業を心から信じ、御言葉に立つ時、私たちは神様の愛により、大胆になり、力強い働きをすることが出来るのです。
 神様は、私たちを心から愛しておられます。私たちが時に不信仰になり、神様から離れそうになる時も、神様は、絶対に私たちを忘れたりすることはありません。
 神様は、「あなたの城壁はいつもわたしの前にある。」と言われました。城壁と言いますと、外敵が入らないように民を守るものです。
神様はいつも私たちを的から守り、また例え敵の攻撃により、壊れたとしてもそこを修復して下さるのです。
 神様は私たちに「心配することはない。」と語りかけて下さいます。何か問題があると、不安になることがあります。しかし、私たちを母の胎の中で形作り、いつもとりなして下さっているお方が共におられることを忘れてはなりません。私たちは愛されているのです。そのことを心から信じ、神様に用いられる器として整えられていきましょう。

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