主はぶどうの木(ヨハネ15章1~11節)

「わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。
わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多くの実を結ぶために、刈り込みをなさいます。」     
 今、宮崎は災害によって大きく揺すぶられています。このよう時、私たちは神様からのメッセージをしっかりと聞き、悔い改め、宮崎のために、また日本のために祈らなければなりません。
 神様が私たちに望んでおられることは、どのような状況の中に追い込まれたとしても、しっかりと神様の御言葉に立ち、実を結ぶ者となる、ということです。
 ヨハネの福音書15章で、イエス様は、「天の神様が農夫で、イエス様がぶどうの木、そしてあなたがたは枝である」と語っています。
 イエス様は、私たちがご自分につながることによって多くの実を結んで欲しいと願っておられます。(15:5)もし、私たちがイエス様につながり続けるなら、神様の御心(御言葉)に従って生きることが出来、いのちの道を歩めますが、反対に離れるなら、ぶどうの木から栄養をとることが出来ず、命を失ってしまいます(サタンの道を歩み、滅びに向かうこと)。
 ぶどうの木には幾つかの性質があります。まず、ぶどうの木は成長をするたび新しい皮が生まれ、古い皮がむけます。その古い皮をしっかりむかないと、その中に虫が付きやすくなり悪さをします。この「古い皮をむかなければならない行為」とは、悔い改めのことです。私たちは毎日の生活のなかで悔い改め、聖別される必要があるということを示しています。また、ぶどうの木は、手入れをすることによって美しい実を結ぶことが出来る木です。神様は必要な刈り込みをされ、余分なものをは落とし、良い実を結ばせようとします。それは試練であり、訓練ですが、それを通して罪や自我を切り落とし、神様が与えてくださる新しいいのちをいただくことが出来ます。また、ぶどうの木には肥やしが必要です。肥やしがなければ成長することが出来ません。
私たちにとっての肥やしとは「聖書の御言葉」です。これは、私たちの信仰を成長させるために絶対に不可欠なものです。この御言葉によって、私たちはつくり変えられ、悟りが与えられ、真理を知ることが出来るのです。毎日食事をするように、毎日霊の糧をいただかなければなりません。そうすれば、私たちの内なる霊が燃やされてきます。御言葉をいただき続けるなら、私たちの枝は枯れることなく、多くの実を結ぶことが出来るのです。そして、そこに神様の愛が人々の前に現され、神様の栄光を見ることが出来ます。神様は、私たちを愛して下さっています。ぶどうの木であるイエス様の愛の中にとどまっていきましょう。

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