栄光を現すには(ヨハネの福音書12章20~26節)

 祭りの時、礼拝に上って来た人々の中にギリシャ人が幾人かいました。彼らが、弟子達のところに来て、「イエスにお目にかかりたい。」と申し出たので、そのことを、イエス様に伝えると、イエス様は「人の子が栄光を受ける時が来ました。~わたしに仕えるというなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もし、わたしに仕えるなら、父はその人に報いて下さいます。」と答えられました。
 ギリシャ人が何故イエス様に会いたいと願ったかというと、このイエス様の答えを聞くと分かるように、彼らはイエス様の弟子になることを志願したかったからです。
 イエス様は、まず「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」と言われました。それは、イエス様の十字架の贖いを表すとともに、神様の栄光を現すために、どのようなにして人間が神様に仕えていくかを教えて下さっている重要な箇所でもあります。
 「もし死ねば、豊かな実を結ぶ。」これは、私たちが「自分」というものを捨て、自分中心の考え、自分の考えを捨てて、イエス様に従っていくなら、豊かな実を結ぶことが出来るという素晴らしい約束です。私たちが自分に死に、イエス様の命令に忠実に従って行くとき、神様の栄光が現れるとイエス様は言っているのです。
 旧約の時代。神様はイスラエルの民の内に栄光を現しました。しかし、彼らは苦しい時には神様を呼び求ましたが、豊かになると神様を忘れ、自分中心の生き方をしました。人が自分で善悪を判断し始め、自分勝手な生き方をするようになった時、この世は悪で満ち、サタンの支配下に落ちていきました。
 人が、自分を持ち続けるなら、そこに神様の栄光が現れることはありません。何故なら、人には罪の問題があるからです。しかし、神様はイエス様を通して、この罪の問題を解決して下さいました。
イエス様が一粒の麦として死んで下さり、私たちに新しいいのちを与えて下さったのです。新しくされた私たちは罪の問題から解放され、多くの実を結ぶ者へと変えられたのです。
 神様は言われました。「わたしは栄光をすでに現したし、またもう一度栄光を現そう。」
 これは、イエス様の死からの復活のことを言っています。イエス様は私たちの罪を背負い、十字架にかかられましたが、死を打ち破って3日目によみがえられたのです!そこに全能なる神様の栄光が現され、多くの人々がイエス様がこそ神の子である、と信じたのです。
 イエス様は、十字架にかかられる前「父よ。この時から私をお救い下さい。」という気持ちになりました。しかし、「いや、わたしはこの時の為に来たのだ。どうぞ、御名の栄光を現して下さい!」と、神様の命令に最後まで従い通したのです。
 イエス様のように、自分の考えではなく、神様の命令に従って最後まで神様に仕える時、神様の栄光があなたを通して現れるのです。

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