最後まで

 このイスラエルとアマレクの戦いは、民が出エジプトして荒野で旅をしている途中で起こったことです。アマレクは、神様が民に与えて下さった「水」(出エジプト17:1~7)を略奪しようとして攻めて来ました。アマレクは戦いに慣れた民族で、攻撃の術も知っていました。一方イスラエルの民は、長年奴隷生活をしていましたので戦いの訓練もしていませんし、ましてや武器もそろっていません。
 この戦いは、最初から勝負が決まっているような戦いだったのです。ですが、モーセは、ヨシュアを呼び、「出て行って戦いなさい。あす私は神の杖を手に持って丘の頂に立ちます。」と言いました。ヨシュアは、不利な状況を見ることをせず、ただモーセの持つ杖を見て、奇跡を行う主に対する信仰だけを持って戦いに出ました。何故なら、モーセの持つ杖は「神の杖」と呼ばれ、この杖は、神様が共におられること、奇跡の業をなして下さること、神の権威を用いることが出来ることことの証だったからです。
 戦いは、モーセが手をあげている時はイスラエルが優勢になり、下ろしている時はアマレクが優勢になるというものでした。
 この「手を挙げる」行為は、「祈り」を意味します(詩篇63:4,第一テモテ2:8)。つまり、モーセが手を挙げて祈っている時は、イスラエルが優勢になり、休んでいる時はアマレクが優勢になったということです。アロンとフルは、その神の戦いの法則に気がつき、慌てて石を持ってきてモーセを座らせ、彼の両手を支えました。
 ここで重要なポイントが見えてきます。それは、私たちの祈りが、この世での戦いの勝敗を決める、ということです。
祈りは、神様との霊的な交わりです。この深い交わりを通して、神様は私たちがこの世でどう戦っていくべきかを教えて下さり、私たちがそのとおりに行った時に、すべての問題に対処することが出来、勝利を勝ち取ることが出来るのです。時に私たちは、祈ることに疲れてしまうこともありますが、最後まであきらめずに祈り続けるなら、神様は必ず奇跡的な勝利をもたらして下さいます。
「それで、彼の手は日が沈むまで、しっかりそのままであった。ヨシュアはアマレクとその民そ剣の刃で打ち破った。」(17:12,13)
 また、私たちの戦う敵がどのようなものであるかを知る必要があります。私たちの敵は霊的存在であるサタンであり、ほえたけるししのように食い尽くすべきものを捜しながら歩きまわっているのです。
 サタンはかつてのアマレクがそうであったように攻撃的であり、略奪者です。私たちから、新しい命を奪い去ろうと必死に働きます。
一方、私たちはかつてのイスラエルの民のように戦い慣れておらす、その術も知りません。そのような私たちに、神様は「神の武具」をつけるようにと教えて下さいました。(エペソ6:10~18)
 もし、私たちが祈りの手をもってその武具を身に着けるなら、私たちの霊が更に強くされ、武具の強度が増し加わります。サタンは、頑丈な霊的武具、するどい剣を見て、恐れおののき逃げ去るのです。
私たちの目的地は約束の地カナン(天国)です。この戦いは途上にあることです。最後まで祈りの手を下げることなく、勝利しましょう!
(富高美和伝道師)

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