あなたの罪は赦されます

「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」(ローマ6:23)

 聖書は、「神様を知らない生き方は、死んだ生き方」と言っています。そして、「死んだ生き方」を聖書はこう言っています。「私は、私のうち、すなわち私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することができないからです。私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行っているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。」(ローマ7:18~20) 
「自分は善を行いたいのに、それを行う力がない」これが罪を持つ人の生き方、死んだ生き方です。
 かつてアダムとエバがエデンの園に置かれた時、神様の命令にそむき、罪を犯しました。その時、彼等の内の霊(神様と交わる器官)が死に、彼等は神様から離れる生活をするようになりました。彼等はそれまで、神様の知恵によって、すべてを支配する権威が与えられていました。しかし、神様から離れた時、罪が入り、今度は罪に支配される生活、自分の醜さを覆い隠して生きる生活を送ることになったのです。人は罪の故に、律法が良いことだと分かっていても、行うことが出来なくなってしまいました。
 しかし、私たちをその罪の中から救い出して下さった方がおられます。それがイエス・キリストです。ローマ7:24~8:2を見ると、「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。~こういうわけで、今はキリスト・イエスにある者が罪に定められることはありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。」と書かれてあります。
 「いのちの御霊の原理」と「罪と死の原理」があります。人々は罪と死の原理(罪を犯した者は死に定められる)の中で生きていました。しかし、イエス様が私たちの罪を十字架によって赦して下さったことにより、「いのちの御霊の原理(イエス様を信じることにより、永遠のいのちを持つ)」へと導いて下さったのです。
 ある時、イエス様のもとに姦淫の現場で捕らえた女性が連れて来られました。もっとも律法学者達は、イエス様を陥れようとしてこのようなことを行ったのです。律法によると、彼女は石打ちの刑にあたりますが、イエス様は「互いに愛し合い赦し愛なさい。」と解いていました。イエス様がどちらを選んでも、神の教えに反するように彼等は仕組んだのです。しかしイエス様は「あなたがたのうち、罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」と言いました。そうすると、年長者からひとりひとりが出て行き、イエス様一人が残されました。イエス様は、彼女に「わたしもあなたを罪に定めない。今からは、決して罪を犯してはなりません。」と言われました。この姦淫の女に語られた言葉は、私たちに語られた言葉です。イエス様は私たちを赦し、神の子どもとして下さいました。ここに神様の深い愛があるのです。

コメントを残す

コメントを投稿するにはログインしてください。