祝福を受けよ(久留米ベテル教会元主任牧師 吉田有年師)

「~また、シャレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒を持ってきた。彼はいと高き神の祭司であった。彼はアブラムを祝福をして言った『祝福を受けよ。アブラム天と地を造られた方、いと高き神により。あなたの手に、あなたの敵を渡された。いと高き神に、誉れあれ。』~」
                           (創世記14:17~24)  この場面は、アブラムが戦いに出て勝利し、凱旋してきたところです。アブラムと、そのしもべ達318人は、連合の国々を打ち破り、すべての財産、親類のロト、女たちや人々を取り返しました。
 人々の大歓声の中、彼等が帰って来た時、ソドムの王は、王の谷と言われるシャベの谷まで、彼等を迎えに出ていました。ここから、戦いの勝利のレセプションが始まるのですが、ここにメルキゼデクという人物が出てくることに注目していきたいのです。この場面では、アブラムにソドムの王が降参の意を示し、全財産をアブラムに明け渡すと約束するところが中心で、メルキデゼクは脇役のような、そのような扱いです。しかし、聖書は、彼のことを「シャレムの王」で「いと高き神の祭司」と書いています。旧約では、不思議なことに彼のことは、この箇所以外いっさい書かれていないのです。ヘブル7章には「メルキゼデクはサレムの王で、すぐれていと高い神の祭司」「彼は、その名を訳すと義の王であり平和の王です。」「父もなく、母もなく、系図もなく、その生涯の初めもなく、いのちの終わりもなく、神の子に似たものとされ、いつまでも祭司にとどまっているのです。」と書かれてあります。「神の子に似たもの」と紹介されていることから、イエス・キリストご自身が現れて下さったことが分かるのです。
 人というものは、素晴らしい業績を残した時、何らかの見返りを期待します。目に見える祝福が欲しいと思うのです。
 ソドムの王は彼の財産を明け渡すつもりでアブラムを待っていました。一方、メルキデゼクはパンとぶどう酒だけを持ってそこに立っていました。アブラムは、ソドムの王を通り過ぎ、まずメルキゼデクの前にひざまずき、霊的祝福のことばを受けました。「祝福を受けよ。アブラム。」と。そして、自分の持ち物の(敵国から勝ちとった物も含む)十分の一をメルキゼデクに捧げたのです。
 そして、ソドムの王に対しては、「あなたからは何一つ取らない。それは、あなたが、『アブラムと富ませたのは私だ。』と言わないためだ。」と言い、肉的祝福は一切受け取ろうとはしませんでした。
 このアブラムの姿に私たちは学ぶべきことがあります。アブラムは、目に見える肉的祝福ではなく、何よりも先に霊的祝福を求めました。そこに、彼の「祝福の人生」の秘訣があったのです。
 しかしその後、恐れが彼の心を支配しました。すると、神様のことばが彼のうちに臨み、「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」と言われたのです。
そのことばの通り、彼は星の数ほどの子孫が与えられ、彼の財産も祝福を受けました。祝福を受けるには、順序があります。まず内面的(霊的祝福)、そしてそれが実際的な祝福(目に見える祝福)となるのです。アブラハムに習い、この祝福をしっかりと受け取りましょう。

コメントを残す

コメントを投稿するにはログインしてください。