ペンテコステの信仰

 使徒の働き2章を見るときに、弟子達に聖霊が下った時の様子が詳しく記されています。
 それは、弟子達が主と共にいた時にも経験できない事でした。
ペテロが、「あなたは生ける神のみこキリストです。」と告白した時
(マタイ16:16)「そのことをあなたに明らかに示されたのは、天にいますわたしの父です。」と、イエス様に言われたのです。彼は聖霊によって示されたのでした。(Ⅰコリント12:3)そして彼は、復活の主に出会い導かれたのです。しかし、主の御用をするには、それだけで働きは出来ないのです。ですから主は「聖霊を受けよ。」と命じられました。(ヨハネ20:22)
それには、「聖霊を受けるとき殉教をも恐れない生けるキリストの証人となる。」(使徒1:8)という深い意味がありました。  
聖霊は、「キリストを救い主として受け入れた。」「奇跡を体験した。」「確かに、主は生きておられる。」と言う、信仰の体験ではなく「いと近き助け主 」(パラクレイトス)内に働く神の力「ドナミス」なる 力なのです。
弟子達が、約束の聖霊を待ち望み祈っているとき、聖霊が一同の上に下った事が使徒の2章に記されています。
「 五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」
聖霊は、皆に下りました。そして、一同は他国のことば(異言)で語りはじめたのです。その祭りの日には、世界中の人が来ていましたので、異言を話す様子を見ていた者たちは、自分たちの国のことばで神の国について語っている弟子たちを見て非常な驚きを覚えました。他の人々には酔っぱらいのように見える光景でしたが、ペテロが「これは、旧約の預言やヨエルの預言の成就]と人々に語ると、彼のメッセージによって3000人が救われたのです。4:4では5000人の人々が救われ、6:7では「非常に増えていった。」と書かれてあります。
復活の主を見ても、人を恐れ、もとの仕事に帰ってしまうような弟子達でしたが、聖霊のバプテスマを受けた時から彼らは全く新しい人に変えられました。
どのような試練の中に立たされても、どのような迫害の中に立たされても、誹謗嘲笑されても、時が良くても悪くても、大胆に復活の主を伝える「生けるキリストキリストの証人」となったのです。
それはこの世と調子を合わせるような信仰ではなく、全くこの世と妥協しない信仰でした。
 ペンテコステの信仰(聖霊のバプテスマにより一新された信仰)とは、「今も神が共にいます。」と大胆にこの世にあかしする信仰です。

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