聖書には

 今日は父の日です。昔は、父が権威を持って家庭を治めていたので、毎日が父の日のようなものでした。しかし今の時代、父の権威も地に落ち、「父の日」を特別に感じるようになりました。
 聖書を見るとき、私たちは「父はどうあるべきか、母はどうあるべきか、子どもはどうあるべきか。」を知ることが出来ます。
 聖書は私たちの心の物差しです。何が良いことで、何が悪いことか、私たちがどのような人生を送るべきか、はっきり書かれてあるのです。この計りに従って、子ども達を指導することの出来る父親、また人生(人は何のために生きているのか、生きる目的)を教えれる父親、また子どもに力(神の力)を与えられる父親は幸いです。
 「聖書は、すべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」(第2テモテ3:16,17)
 この「神の人」とは、私たちのことです。私たちは、神様の作品としてこの世界に生み出されたものです。目に見える世界は、どんどん滅びの道に向かっており、悪い状況にあります。しかし、私たちはこの聖書を通して、神様の素晴らしい世界に入ることが出来ます。これは、見える世界ではなく、見えない霊的世界について語っているのです。
 私たちは、目で見ることの出来ない神様を信じ、その見えない神様が語られていることばを信じて生きています。私たちが霊的な目で見ているものは、永遠に続く御国です。私たちは、いつも御国に希望を持って生きているのです。
 私達に敵対する者があったとしても、私たちはその人をのろうことをせず、祝福を祈ります。聖書を読むことによって私たちの内側が整えられ、平和をつくり出す者となるのです。
 私たちが聖書のことばに耳を傾け、神様のことばに従って生きていくとき、「人生観」が変わっていきます。本当の人生の目的を知り、神様の栄光のために生きていくことが出来るのです。
自分の力で生きようとすると、本当に疲れます。自分の限界を感じ、失望をします。しかし、神様と共に生きる時、神様が生きる力を与え、そればかりではなく、生きる喜びを与えて下さるのです。
 正しい価値観を持ち、道徳心が養われ、自分だけではなく、人々に良い影響を与えることが出来ます。(「十戒」出エジプト25章)
 「十戒」は一見厳しいように思えますが、その裏には神様の愛が隠されています。私たちは、戒めを守ることの出来ないような罪人です。
しかし、その罪の罰を変わりに背負って下さったイエス様を信じることが出来ていますから心から感謝するのです。神様は、私たちを愛して下さっています。聖書のことばをしっかり握って歩みましょう。

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