「道」

「イエスは彼らに言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』」(ヨハネ14:6)

 聖書のことばを見る時、霊の感動を覚えます。
上記の御言葉は、イエス様が弟子達にお話になった言葉です。しかし、この言葉は、弟子達と同時に私たちにも語られている言葉です。
 人は、どうにかして自分で「道」(何を食べるか、何をするか、どこの学校に通うか、どこに就職するか、将来は何になるか)を捜そうとします。しかし、色々な問題の中で、何が真理なのか分からなくなり、道に迷い、終いには何のために生きているのかさえ、分からなくなってしまうのです。
人生の「失敗」か「成功」かは、私たちの選ぶ「道」にかかっているのです。
 イエス様は、「わたしが道」「わたしが真理」「わたしがいのち」と私たちに言われます。
 かつては(エデンの園時代)、神様と共に歩み、神様の声に従って生きていたので、人間の歩むべき「道」は明らかでした。しかし、罪を犯し、神様と離れる生活をするようになってからは、人は神様の声を聞こうとはせず、自分の判断で道を選ぶようになりました。それから人間は、確実に滅びに向かって歩むようになりました。
 しかし、イエス様は、滅びの道を歩んでいる私たちを救うためにこの地上に来られました。そして、再び人間が神様と共に歩み、神様の声に聞き従いながら祝福の道を歩むことが出来るようにして下さったのです。私たちが、イエス様の十字架と復活を受け入れるならば、祝福の道を獲得することが出来ます。
 また、イエス様は、私たちに人生の答えを与えて下さいます。
聖書のことばによって、私たちが何のために生きているのか、また何をすればいいのか、知ることが出来るのです。
私たちは、信仰を持って神様の御言葉を受け取り、示された「道」を歩みます。祝福は神様によって用意されているのです。私たちには、
「そこに祝福がある!」という信仰が必要なのです。
聖書には「招待される者は多いが、選ばれる者は少ない」(マタイ22:14)と書かれてあります。神様は婚宴の席(イエス様の救いの意味)に多くの者を招待して下さいます。しかし、神様が用意して下さっていた「礼服」を着て来なかった者は、追い出されるのです。この「礼服」とは「信仰」のことです。信仰がなければ、神様に喜ばれることは出来ないのです。
 私たちは婚宴に招かれた者です。神様が与えて下さった信仰の礼服を着て、大胆に主の名を賛美し、礼拝していきましょう。
新しくされた私たちは、主によって祝福の道を歩むことが出来ます。イエス様こそが、私達の「道、真理、いのち」です。信じましょう。

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