ホサナ通信 (1981年2月1日)

 冬休みも終わりに近くなった一月五日の朝。主人が急に私たちを熊本に連れて行ってくれることになりました。
 六日に福岡の神の愛教会へ行く用事があるので、ついでに寄ってくれるというのです。 昨年末に行く予定にしていて行かれず、主人の里での餅つきを楽しみにしていた子供たちが、がっかりしていたところでしたので、この提案には大喜び。早速準備に取り掛かります。二泊三日になるので、各自の着替え、子供たちの遊び道具、道中の食べ物、車中で子供が眠ったときのための毛布等々。大人だけの旅行と違って荷物が一杯です。
 特に、子供の着替えが大変。熊本は、宮崎よりずっと寒いと聞いていますし、洗濯をしてもすぐには乾かない気候です。そして、子供たちが、田んぼや山道を走り回って、汚すことは目に見えています。そんなことを考えつつ用意すると、着替えだけでも大荷物になってしまいました。
 階段の上に山積みになった荷物を、何回位で下に運べるかしら、と考えていると、長男がやってきて、「お母さん。どれを持っていくの。ぼく手伝うよ。」と言います。
 「ご飯を食べた後のは、ぼくが洗うからね」と、セーターのそでをまくり上げているのは次男。末っ子の美和までが、水筒や、お菓子の入ったかご等を運んで手伝い始めました。 楽しい目的があるので、手伝ってくれる子供たちの姿も生き生きとしています。 (普段もこんなだといいのに・・・・・)と思いつつ私は次男の応援。 毛布を運び終えて階段を上って来た長男に、主人が声をかけます。
 「恒喜。ちょっとこっちへ来てくれ。」
 しばらくして、主人の部屋から出てきた長男の足音がいやに慎重です。重たい物でも頼まれたのかしら?と思っていると、長男の声。
 「お母さん。恒喜が運んでいる物は何だと思う?ちょっと見てよ!」
 得意そうなその声に振り返って見ると、長男の手には、主人の大切にしているカメラ道具の一式が大切そうに抱えられてありました。今までは落とすと危ないからと持たせてもらえなかった品物です。
 やっと一人前に扱ってもらえたという、喜びと自信が長男の顔には一杯あふれていました。
 大役(?)を果たしてもどって来た長男。今度は残りの荷物を次男と二人で運びます。階段の途中で「おい、基信。気を付けろよ。足下が危ないからな」と、なんだか急に大人びた口調になって、次男に注意している長男の様子に思わず私のほおがゆるみます。
 階下で長男の声。
「ああ、美和。それはお兄ちゃんが持ってやる。美和にはまだ無理。小さいからな。」
 主人に大事な物を任された、一人前に扱われたということが、長男の兄であるという自覚を促したようです。
 パウロは、「私たちは神に認められて福音をゆだねられた者ですから、それにふさわしく~」とテサロニケの人々に語っています。又、テモテにも「私は私を強くしてくださる私たちの主キリスト・イエスに感謝をささげています。なぜなら、キリストは、私をこの務めに任命して、私を忠実な者と認めてくださったからです。」と言っています。
 このパウロの自覚が、彼をどんな困難にも迫害にも勝利する者とし、かえって、そのような苦難の中からも、人々を励まし、慰めるものとしていたのでしょう。神に認められ、任命されているという自覚が・・・。

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