ホサナ通信 (1981年2月8日)

 「さあ、これからが大変だぞ。がんばれよ。」
 先を歩いていた主人が、後を振り向いて私たちに声をかけます。
 今まで狭いながらも続いていた道が、ぷっつりと途絶え、これから登って行こうとする所は、木や草のうっそうとしている斜面です。傾斜も急になり、足下は霜に覆われた枯葉が一杯。はうように登っていても、うっかりしていると、足が滑ります。
 「お父さん、これ道ですか?」
 「そうだよ。最近は、登る人が少なくなったから消えかかってるんだ。ぼくの小さいころは、毎日のように登って遊んだものだけどね。日曜日なんかは、朝起きるとすぐに登って、夕方まで降りてこなかったんだよ。」
 私たち家族が登っているのは、熊本の主人の実家のそばにある飯田山です。海抜三六〇メートル位の小さな山ですが、冬休みの最後の思いでにと、やって来たのでした。
 主人は、末っ子美和の手を引いて、長男は一人で、私は次男と手をつないで、もう一時間位登って来たでしょうか。
 足場が悪いので、手ごろな木につかまりながら登ります。
 子供たちはどうしているのかな?と思って見ると、美和(二才一〇ヶ月)は、覆いかぶさるようにしている草のトンネルを、鼻歌まじりにくぐりぬけて登っています。主人に手も引かれていない様子。
 長男(もうすぐ七才)は、主人の後を追って一生懸命。
 「恒喜、大丈夫?」と声を掛けると、「うん、大丈夫。早く頂上まで行きたいな」と、元気な返事が返って来ました。
 さて、私が手をつないでいる次男(五才になったばかり)は、と見下すと、何と半べそをかいているではありませんか。
 「あら、基信。どうしたの?」
 「だってぇ~。木や草が顔に当たって痛いとよぉ。まだ着かんと上に。ぼくもういやだなぁ。」 うっかりしていました。私の腰の当たりに、草が沢山生えています。背の低い木も沢山。それをかき分けかき分け進んでいるのですが、私にとっては腰の丈でも、次男にとっては丁度顔の当たり。とげのついた木もありましたので、さぞ痛かったことでしょう。
 タオルでほおかぶりをさせ、手で目の当たりをかばうことを教えて、今度は私も気を付けて道を確保してやるようにしました。
 小さなねずみ小僧のような姿でついて来る次男や、先に行く二人の子供たちの姿に信仰生活の段階を見たような気がしました。
 末っ子美和の様子は、信仰に入ったすぐの人。救われたという喜びがいっぱいで、さしたる試練も受けることなく、ただただ楽しいという段階。
 次男は、いよいよ主の試練によって鍛えられる段階。様々な障害が信仰を試し、一番苦しい段階です。
 長男は、信仰の背丈が伸びて、試練に打ち勝つ方法を会得して、本当の意味での信仰の恵みが分かり、さらに上への成長を望む段階。
 一番助けが必要なのは、次男の段階でしょう。こんな人に、時機を得た励ましと慰めを与える者になりたいなと思います。
 「それは、この人たちが心に励ましを受け、愛によって結び合わされ、理解を持って豊かな全き確信に達し、神の奥義であるキリストを真に知るようになるためです。」(コロサイ二章二節)とパウロの言っているように。
 帰り道、田のあぜ道で、義母の作ってくれたおむすびを食べました。一番多く、そして一番満足そうに食べていたのは次男でした。苦闘が大きかった分だけ、闘いの終わった後の喜びも大きかったようです。

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