ホサナ通信(1981年4月26日)

 「お母さん、これ読んで。」朝の片付けを終えて、ホッと一息ついていると、それを待っていたかのように、美和が、両手一杯に絵本を抱えてやって来ました。
 最近、絵本に興味を持ち始めた彼女。私が少しでも手のあいている様子を見せると、こうしてやって来るのです。
 読んでやると、物語の進展に合わせて、目を輝かせたり、口をとがらせたり。すっかり物語の中に入り込んでいる様子なので、こちらも楽しくなります。
 でも、困ったことがあるのです。それは、きりがないこと。同じ本を何回も何回も読ませられ、その本が終わると、又別の本を何度も、そして又別の本と終わりがありません。
 最初の内は、登場人物の声色を色々と使い分けて、なるべく表情豊かにと読んでやっている私も、五回目、六回目となると、次第に平たんな読み方になり、七,八回目には全くの棒読み。一〇回目には、イライラと投げやりになってしまうのです。
 美和は、そんな母親の様子におかまいなし。「お母さん、もう一つ。もう一回やけ(だけ)」
と言いながら、別の本を持ってきます。そして、私が「ほんとうにもう一回だけよ」と言うと、「うん」と言い、私が本を手に取ると、にこっと笑って「一杯一杯読んでね。お母さん」などと、さりげなく言い直したりしているのです。
 ある時、思う存分読んでやることにしました。
 「さあ、今日は美和の気のすむまで読んであげるわよ。絵本を持ってらっしゃい。」
 それから小一時間。「桃太郎」「花咲じいさん」「一寸法師」「ピノキオ」「ジャックと豆の木」「三匹の子豚」「つるのおんがえし」「たぬきばやし」「やまんば」・・・を読み続けました。それも一回ずつではなく、リクエストによっては、一冊の本を何回も。
 のどはカラカラ、声はガラガラになりましたが、さしもの美和も満足したのでしょう。その日は、それ以上「もう一回」と言わなくなりました。
 でも、毎日毎日このようにしてやるわけにはいきません。美和も満足して、私も思うように仕事が出来る方法は・・・。そう、テープに吹き込んでやりましょう。
 その夜、遅くまでかかって一〇冊分のおとぎ話を吹き込みました。声色も使っているし、歌も入っているし、これで美和も「読んで、読んで」とやって来ることはないでしょう。自分のアイデアに気を良くして床に着きました。
 翌日、例のごとく例のようにやってきた娘に、「ほーら、今日はテープで聞いてね。何回でも聞けるからいいでしょ」と、本とテープを合わせてやると、熱心に聞いています。
 ところが、十分も立たない内に、娘が私のそばにやってきて、「お母さんが読んで」と言うではありませんか。「あら、お母さんが読んでいるじゃないの。」「ううん、お母さんが読んで!!」 どうやら、テープの声ではなく、直接の語りかけがして欲しいようです。肩を触れ合いながらの生の声がいいのでしょう。
 私たちと神様との交わりも同じこと。神様も、私たちが直接お会いすること、祈ること、賛美することがお好きです。
「わが愛する者、美しいひとよ。
 さあ、立って、出ておいで。
 岩の裂け目、がけの隠れ場にいる私の鳩よ。
 私に、顔を見せておくれ。
 あなたの声を聞かせておくれ。」(雅歌二章一三~一四節)

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