ホサナ通信(1981年6月14日号)

 修了証書、音楽基礎グレード合格証書。この二枚を手にして、感謝の時を持ちます。長男が、音楽教室に通い始めてから二年。幼児科二年修了の証と、音楽能力検定試験の基礎グレードに合格の証をもらってきたのです。
 教会に、賛美は欠かせないもの。その賛美を巧みに導く者となって欲しいと、幼稚園で開かれている音楽教室に通わせ始めたのが、長男五歳の時でした。自分で興味を持って、自ら習いたいと言って始めたものではないだけに、途中でつらくなることしばしば。「お母さん、どうしてピアノを習わないとだめ?」とか「やめたいなぁ」などということも良くありました。特に右手だけで弾くのから左手が加わった時とか、伴奏の形式が複雑になったとき。単調なリズムから難しいリズムに変わったときなど、新しい段階に移るごとに壁にぶつかるようで、無理に練習を強いる私に、涙を浮かべて反抗することもたびたび。私も、ついついカッとなって手を上げることもあって、「情操を豊かに養うために」という謳い文句で、生徒を集めている音楽教室のポスターを思い出しては、苦笑することもありました。
 「恒喜は、大きくなったら何になるの?」「牧師。」「そう、だったらピアノもがんばろうね。牧師先生は、賛美も上手に導けないといけないからね。」「はーい。」
 習い始めの頃、時々「やめたいな」と言い出す長男に、こんな会話をしてやる気を起こさせていましたが、二年目の春、教室からの帰り道に(この日は、特に調子が悪く、自分でも思うように練習が出来なかったよう・・・)、突然こんな事を言い出しました。
 「お母さん。ピアノの練習をしないで、牧師先生になることは出来ないの?」これには私もグッと言葉が詰まってしまいました。しばらく考えて、「何でも始めたことは、最後までやり通すような強い心でないと、牧師先生にはなれないんじゃないかな。だから恒喜もがんばろうね。」と、冷や汗をかきながら答えにならぬ答えをしたことでした。
 そんな長男も、ある日、急にピアノを弾くことが楽しくなって、一時間ほど同じ曲を弾き続けていたことがありました。そのとき以来、小さな壁にぶつかることはたびたびですが、克服できるようになり、今では、その障害を乗り越えた後の満足感も少しは味わっているようです。先日も、三年目の楽譜を練習していてうまくいかず、「難しい難しい」と、足をバタバタさせたり、こぶしで自分の膝を打ちたたいたりして苦しんでおりましたが、何日かするとすらすら弾けるようになり、「やってみると優しいね、お母さん。」同じ目的で習い始めた次男が、悪戦苦闘しているのを見て、「そんなの優しいよ。何回も弾いていたら出来るようになるが・・・」と励ましておりました。
 そんな姿を見ると、続けさせて良かったなと思います。実のところ、親の方も戦いなのです。夏の猛暑、梅雨時の大雨。そして、冬の厳寒時には、怠け心が出て来ます。又、毎日の練習も、案外神経の疲れるもので、本人が楽しんでやっていないときには、こちらもつい負けそうになるのです。でも二枚の証書を手にして、新たに決心します。子供たちが自由に神様を賛美する日を目標にがんばりましょう!!
 「今の時のいろいろな苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。」(ローマ8:18)
 「堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」(第Ⅰコリント15:58)

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