ホサナ通信(1981.8.16号)

 「あっ、お母さんちょっと来て!早く!」「ほら、見て見て!」「ノッポビルよ!」
 テレビを見ていた子供たちが、口々に叫び始めました。何事か?と洗い物の手を止めてテレビの前へ走ります。画面には、東京新宿の街が映っているところでした。カメラは、西口駅付近のオフィス街、繁華街をとらえています。大小様々のビルの間から、ひときわ高い超高層ビルが顔を出しているのが見えます。これが子供たちの言っているノッポビル。今年の春休みに里帰りした時、父が連れて行ってくれたのですが、印象が強烈だったらしく、四ヶ月たった今も本やテレビで見かけると大騒ぎなのです。
 「ねぇ、お母さん。ぼくたちあのノッポビルに上ったね。ほら、おじいちゃんのところへ行ったときにね」と次男は興奮気味。「違うよ。もっと白いのだったよ。あっ、あれじゃない?ほら、あれ。少し三角の形をしたビルよ」と長男。「あーあ。また行きたくなったなぁ」と長女。
 私たちの上ったのは、新宿駅近くの京王プラザの四七階建てビルでした。高速エレベーターで、それこそあっという間に最上階に着きました。扉が開くのを待ちかねたように飛び出した子供たち。ガラス張りの展望ルームからはるか下を見下ろして、「わーっ、高い!」と歓声を上げ、その後はしばらくじっと下を見つめたまま。しばらくして次男がぽつりと言いました。「車がミニカーみたいに見えるね。あれ、本当に動く車?」続いて長男は「人がありみたいに見える」と一言。
 余り高いところの好きでない私も、子供たちの声につられて恐る恐る下を見ます。本当に人も車も小さく小さく見えること。なんだか足がムズムズしてきて、その場に座り込みたくなってしまいました。少し曇っていたため見通しは余り良くありませんでしたが、それでもビル周辺の町々は、地図を見るかのようにはっきり見えます。
 一つの通りを通っている人には、ビルを隔てたもう一つの通りの様子は分からないでしょうが、上から見るとすべてが見渡せます。ひょいと手を伸ばして、こちらの通りを走っている車を、次の通りに移し換えることも出来るような錯覚さえ起こしそうです。
 その時、聖書のこのみ言葉を思い出しました。イザヤ書40章22節、リビングバイブルです。
 「神様は地球のはるか上におられます。下界の人間など、まるでいなごのように見えることでしょう。神様は、天をカーテンのように引き伸ばし、ご自分の住まいとします。」神様も、私たちをこのように見下ろしておられ、ご自分を信じる者が幸いを得るように配慮しておられるのだなと思うと、目の前のいろいろな問題など小さく見えてきます。
 将棋の名人は何百手も先を読んで、今の手を打つそうですが、もっとすぐれた神様は、永遠の先までも読んで私たちを動かして下さっているのですから。私たちの周囲に置かれている人々、又起きている出来事、それはすべて、神様が万事を益とされるために計画されていることと知る時、神の平安がやってきます。
 ただ、私たちに必要なのは神のみ心に沿って歩むことだけです。
 「神様は地上をあまねく見渡して、心を完全に神様に向けている人々を捜し求めておられます。そのような人々を助けようと、大きな力を現して下さるのです」(Ⅱ歴代誌16・9)から。 たとえ、お先真っ暗な状態にいるように思えても失望しますまい。一寸先に主の助けの手が伸ばされているかもしれないのです。

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