ホサナ通信(1981年2月22日)

 「お母さん、次は何をするの?」食器を拭き終えた次男が尋ねます。
 「そうねぇ。じゃあ、白菜を洗ってちょうだい。お味噌汁に入れるから。」
 「はい!!」
 次男は、いそいそとセーターのそでをまくり上げ、ジャブジャブと白菜を洗い始めました。まだ背が、流しの下までは届かないので、いすに乗ってのお手伝いです。今日、幼稚園から帰って来るなり、「お母さん、夜のご飯作るの、ぼく手伝うよ」と言うのです。いつもは遊ぶのに夢中で、手伝ってと頼んでも、なかなか思うように動いてくれないのに、どうしたことでしょう。幼稚園で先生に言われたのでしょうか。
 夕方、「あら、もうこんな時間、そろそろ食事の支度をしなくては・・・」と、つぶやいて台所へ立つと、バタバタと足音がして、次男が、私の腰にぴたっと寄り添ってきました。
 「お母さん、手伝うよ。」
 「あっ、ありがとう。でも、今日は揚げ物で危ないからいいわ。明日手伝ってね。」
 途端に、次男の顔がくしゃくしゃにゆがんで、ウワーっと泣き出してしまいました。
 「ウワーン。ぼくが手伝うって、ずっとずっと前から(お昼のこと)言っていたのにィー。お母さんはうそついたぁ~。ウェーン!!」
 あれあれ。うそつき呼ばわれされてはかないません。さあて、何をしてもらおうかしら。そうだ、食器を拭くくらいなら大丈夫と、今してもらったところなのです。
 「お母さん。次は何?」白菜を洗い終えた次男が、次の手伝いの催促。顔付きもきりりと締まって、すっかり張り切っています。
 「そうね。このお魚にお塩を振って」と三枚におろしたばかりのアジをバットに入れてやると、早速塩入れを持ってきて、サッサッと塩を振り終え、次は?とばかりに顔をこちらに向けました。なんだか、私のほうが次男に追い立てられているような形になりました。
 「じゃあ、小麦粉を出して、そのお魚に付けてちょうだい。こぼさないようにね。」
 天ぷらなべの油をあたためている間、私のそばでせっせと、魚に小麦粉をまぶしている次男の姿が、今までより一段と大きく見えます。予定日より二〇日も早く生まれてきて、未熟児寸前の小さな小さな赤ん坊だったあの次男が・・・と思うと、しばし感激。
 いつもは、妹をいじめたり、わがままを言ったりしては、私に叱られる率の多い次男ですが、自我が発達して、親の思うようにならなくなった反面、良い自我も成長しているようで、うれしくなりました。
 「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、又、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」(エペソ四章一節)
 夕食が始まります。普段よりこんもりと盛られたご飯茶碗を前に、次男の得意そうなニコニコ顔。そう、ご飯も彼が盛りつけたのでした。
 「さあ、今晩は、基信がお祈りしなさい。」
 主人の声に、普段より大きな声で祈ります。
「天のお父様。お母さんが作ってくれたごちそうを・・・。違った!お母さんと、ぼくが作ったごちそうを感謝します。みんなを祝福してください。イエス様のお名前によって、感謝していただきます!アーメン」
 パクパクと満足気に食べている次男を見ながら、”いつもこんなだといいのにな。”

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