ホサナ通信(1981年4月12日)

 買い物帰りの車の中。後ろの座席でお菓子を食べていた長男が、「あっ」と小さな叫び声を上げました。
 「どうしたの?」
 「ほら、歯が抜けちゃった。ぼく、ピーナッツと間違えて、もう少しで食べるところだったよ」と、根元にちょっぴり血のついた小さな歯を見せます。
 5才の終わりごろから、乳歯が抜け出しました。永久歯が生え始めているのです。今抜け落ちた歯は五本目でしょうか。
 「お母さん。でも、今日のはちっとも痛くなかったよ。この間のはすごーく痛かったけれど・・・。」
 「そうよ。この間は、まだ取れそうになっていないのに無理に抜いたから痛かったのよ。」
「ふーん。だったら、いつも無理にとらない方がいいな。ぼくは。」
 この間抜いた歯というのは、グラグラし始めたときには、すでにそのわきから永久歯が顔を出し始めていました。自然に抜け落ちるのを待っていては、ゆがんだ方向に永久歯が生え出てしまいそうでしたので、主人に言うと、「あっ、それなら抜いてしまえばいいよ」といとも簡単な返事。
 そして、すぐに長男を呼んで口を開けさせると、本人が何をされるのか分からないうちに、えい!とばかりグラグラしている歯を抜いてしまいました。
 グラグラしているとはいえ、まだ歯茎にしっかりついている部分が多くあったので、痛かったのでしょう。長男の目から思わず、ポロリと涙が落ちました。
 「お父さん。何で痛いことすると!」と恨めしそうに主人を見上げます。
 「大人の歯が生え始めているからだよ。今の歯をそのままにしておくと、後から生えてきて、恒喜が死ぬまで使わなければならない歯が、変な形になるんだよ。痛くても今の内取っておいた方がいいんだ。」
 自我もいつまでも残しておくと、正しい信仰が育ちません。
 「聖くなければ、だれも主を見ることができません。」(ヘブル一二章一二節)
「彼らが私のために聖所を造るなら、私は彼らの中に住む。」(出エジプト二五章八節)
 自分の考え、自分の主張を持ち続けるなら、御聖霊はその人全体を支配することができないのです。
 「わたしは彼らに一つの心を与える。すなわち、わたしはあなたがたの内に新しい霊を与える。わたしは彼らのからだから石の心を取り除き、彼らに肉の心を与える」とエゼキエルを通して語られたみ言葉のように、生まれつきの性質、考えを取り除いてから、新しい霊は注がれるのです。なぜなら、「生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません」(Ⅰコリント二章一四節)からです。
 春、堅い土を破って出てくる草花を通して主の復活を教え、朝と夜とを通して、人の誕生と死とを啓示して下さっている神は、我が子の成長を通しても、神のみことばの真理を悟らせて下さいました。ハレルヤ!!
 自分の内側を探り、神に喜ばれない生まれながらのものを十字架につけてしまうことにしましょう。たとえ痛みがあっても。
 「お母さん、随分小さな歯なんだね。子供の歯って。でも、今度は大きな歯が生えてくるっちゃね。だれがこんな風に考えたのかな。あっ、神様じゃ。」

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