ホサナ通信(1981年6月7日)

 ”ああ、困った困った。どうしよう・・・。”
 地区の子供会の「新入生歓迎会」が、日曜日の10時半から始まると決まってから、私の心は落ち着きません。ちょうど、礼拝の始まる時間だからです。育成会の役員が、その会の世話役になっており、長男の班では、私がその役に当たっているのです。
 新年度に入って、子供会の役員の入れ替えがありました。育成、生活指導、給食、保険、ドッヂボール、ソフト、バレーと、六つの部があり、各班ごとに役員を出します。小学生を持つ母親は、一度は必ず引き受けなければならないのですが、その中でも一番忙しいと言われて、皆が敬遠している役が廻ってきたのです。日曜日の用事は、余りないからということで引き受けたのに、こんなに早く日曜日の仕事なんて・・・と、ついつぶやきが出ます。
 私たちの班には35名の子供がいますので、世話役が出席しなければ、他の人に迷惑がかかります。誰か、代わりの人を頼もうと、近所を廻ってみます。普段の地区の行事には、全然参加しないので(日曜日のため)、親しい方も余りなく、顔見知りの数人に頼んでみましたが、都合が取れない方ばかりで、本当に困ってしまいました。
 日曜日が近づくにつれて、不安と焦りが一層込み上げてきます。
 そんなとき、聖書のみ言葉が浮かんで来ました。
 「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝を持ってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」(ピリピ4章6節)
 ”そうだ!こんな時こそお祈りだわ”と祈ります。
「天の神様。聖日礼拝を、心安らかに守れるように、助けて下さい。どうぞ、快く代わりをして下さる方をお与え下さい。聖名によって、お祈りします。アーメン」
 次の日のことです。近くのスーパーで、買い物をして帰ろうとすると、「高森さぁーん」と声を掛けられました。振り向くと、近所のAさん。私の作った子供会の名簿に記入漏れがあったと注意をしてくれるために呼び止めたというのです。
 「あの、後でも言いと思ったんだけれど、後ろ姿が見えたもんで、なんだか声を掛けたくなって・・・」というAさんを見ながら、ふと(この人に頼んでみたら)という思いがやってきました。
 実は、このAさん。S学会に入っているらしいので、私は最初から頼むのをあきらめていた人だったのです。でも、内側からの声に促されて、思い切って頼んでみることにしました。すると、どうでしょう。一も二もなく、喜んで引き受けてくれたではありませんか。
 一遍に心の重荷が軽くなって、ニコニコ顔で夕食の準備に取り掛かります。
 ”神様祈りを聞いて下さってありがとう!!”
 夕食後、指摘された名簿の記入漏れを訂正しながら、ミスしたことも益だったのだなあと思います。このことがなかったら、あのAさん、私に声を掛けることもなかったでしょう。
 「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて、益として下さることを、私たちは知っています。」(ローマ8章28節)
 人の思いを、はるかに越えて働かれる神様に、ささいなことにまで気を配って働かれる神様に感謝しつつ、大きな事には、一生懸命祈るのに、小さな事は、自分の力で何とかしようとして、祈ることの足りなかったことを反省しました。

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