ホサナ通信(1981.8.23号)

 木曜日。祈祷会の終わり近くなって、傍らに座っている次男のおなかの部分が少しふくらんでいるのに気づきました。何を入れているのかしら?とランニングのえり元から中をのぞいて見てびっくり。何と体長5センチくらいの茶色のかえるがいるではありませんか。集会後、次男を起こしながら「基信、かえるは静かだけど死んでるの?」と聞くと、寝ぼけ眼で懐に手を入れ、「ううん、生きちょるよ。ほらね」と、足をつかまえられてバタバタしているかえるをつまみ出しました。この五歳半になる次男坊、近頃はいたずらが激しくなり、おかげで私はハラハラすることが度々です。
 先日も、こんなことがありました。近くのスーパーから買い物を買ってくると、近所のT君(4才)が駆け寄ってきました。見ると額に大きなこぶ。「あら、どうしたの?」と問うと、教会の二階を指して「あそこにいる悪いお兄ちゃんがぶつけたと」と言います。まあ、一体だれが・・・。ちょうど入り口に子供たちの靴が並べてあったので、「どの靴を履いていたお兄ちゃんか分かる?」と聞くと、T君はさっと青色の靴を示しました。次男のです。
 これは注意しなくてはいけないと、階段を駆け上がります。「基信!ちょっと。」振り向いた次男の顔はすでに涙でぐしょぐしょでしたが、私の表情を見ると「ワーン!ごめんなさい。ごめんなさい。もうしませーん。ウワーン」と、一層声を張り上げて泣き出しました。するとそばにいた長男が、「お母さん。もう基信は怒られたとよ。T君のおばあちゃんが来てものすごい顔をして怒ったと。だからもう怒らんで。だって、T君が先に石を投げたっちゃもの」と執り成します。
 そういえば、さっきT君のおばあちゃんに出会ったので「こんにちわ!」と挨拶をしましたが、会釈は返して下さったものの、いつもとは何だが様子が違っておりました。とにかく謝りに行きましょう。自分の子供のこととはいえ、怒っている相手の様子を想像すると少々気後れがしますが、勇気を奮い起こしてT君の家へ。家の前で草取りをしていたT君のおばあちゃん。私の顔を見ると表情をこわばらせて立ち上がりました。
 「どうも、すみませんでした。家の子がとんでもないことをしまして・・・。本人も十分後悔していますので許してやって下さい。私からもきつくしかっておきますから。」と謝ります。 かわいい孫のこと、おばあちゃんはよほど腹立たしかったのでしょう。語調を強めて色々と言われました。そのうちに、私の心の片隅から、(T君の方が最初に次男に石を投げたことも言ったらいいのに)という思いが沸き上がって来たのです。しかし、同時に次のみ言葉が更に強く沸いてきました。「キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられてもののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。」(Ⅰペテロ2・22、23)
 そうでした。まるっきり罪を犯さなかったイエス様でさえ黙っておられたのだから私も自分の子供のしたことだけを謝っていましょうと、苦言を甘んじて受けておりましたら、おばあちゃんの表情が和らいで、「私も、少しきつくしかり過ぎたかもしれん。だけどびっくりしたもんでねェ。」と言って下さいました。私はほっとして、「いいえ、しかって下さって感謝してます。又同じ事を繰り返すと大変ですから。今後もどしどししかって下さい」とお願いして帰ってきたのでした。」
 三日後の日曜日。T君がお父さんに連れられて教会学校へ来る姿を見て私の嬉しかったこと。

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